「パターソン」
変化の小さい落ち着いた作品。感想はとても書きづらいが、無理にでも書いてみる。
はじめ、この主人公は妻をいったいどう思っているのか疑問に思った。
顔の造りが大柄なアダム・ドライバーが見せる表情は、むしろ、妻のことをそれほど好きなのかどうか、よくわからない印象だ。カメラが捉える彼の顔はむしろ、日常の退屈や、些細な事柄のさざ波、我々の日常生活で感じるのと同種のものを率直に写し出して揺れ動いている。
そうした日常の些事よりも深い層に流れているものは、彼がノートに書き留める詩の中に現れる。表には現れない彼の深い感情の、いわば窓となっている。
ノートに書き綴られる彼の心を覗き込んで、我々は彼の妻に対する深い想いを知る。外観の記述が多いのは、まあそういう文化の現れなのだろう。
一方その妻だが、これはかなり自分を中心に世界が回っている。この主人公のような寛容で大人しい男であってはじめて夫の座が務まるような、というと悪女のようだが、まあ多少はそうだろう。ギターをおねだりするところなんかね(笑)。
そういう妻に惚れ込んでいて、そこからくる負担を引き受けていて、そのストレスがお話にささやかな波を立てている。平凡な男の人生に、面白味を加えているといってもいいだろうか。なるほど、こういう受け身な人間には、少し自己中な妻の方がよいのかもしれない。
肌の黒い友人が報われない恋に身をやつしているのとも好対照だ。それでいてこの二人の男の間にも、普通の友情は廻っているようにも見える。
さて、妻が挑戦したカップケーキの即売が成功し、そのお祝いに久しぶりの映画を二人で観に行ったのが、大きな波が立つきっかけだ。留守の間に飼い犬が彼のノートをビリビリに破いてしまう。彼の心の奥を映し出す窓は粉々に割れてしまった。
この衝撃がどれほど大きかったかを、私たちはアダム・ドライバーの演技を通じてじわじわと感じ始める。がさつな普通人である我々は、まあコピーを取っておけばよかったね、とか、思い出しながらまた書けばいいさ、とか思うところだが、そこは繊細な主人公のこと。このショックから容易には立ち直れない。
妻は妻で責任を感じて、大仰な身振り口ぶりで謝り慰めようとする。あれほど想っている妻にそうまでされれば、主人公もすぐに元に戻るかと思いきや、あまり効果は表れない。彼の負った傷の深さ、妻への想いとの質の違いを我々は知る。
詩を書くことは彼の命の源であり、妻というのはその主要な題材なのだ。どちらも欠かせないものだけれど、質は異なるものなのだ。
放心しつつ散歩に出て、公園のベンチで日が暮れるまでぼんやりしていた彼の横に、そっと腰を掛けたのが、風変わりな東洋人。
自分もノートに詩を書き連ねているというその東洋の男と言葉を交わすうちに、主人公の心は少しだけ潤いを取り戻す。亡くしたものは帰ってこないが、また少しづつ書くことはできるだろう。
なんだかジーンとくる流れの、ちょっと変わった作品でした。
ところで、双子については謎のままだ。
監督のちょっとした気まぐれなのかもしれないが。
[追記]
ああ、そうか。
あなたと似た者どうしが、きっと世界のどこかに居るよ、という意味なのか。謎の東洋人は主人公の双子の兄弟みたいなものなんだ。
半年も経ってやっとわかった。
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