「嘆きの王冠」1-4
これは最初から順番通りに見るのがよい。
土曜日に、時間の都合で夜の「ヘンリー5世」だけ見て、アジャンクールの戦いはちょっと薄味だなと的外れな印象を持ってしまったが、翌日曜に「リチャード2世」「ヘンリー4世」前後編を時系列どおりに連続して見て、これは力作だなという感想に変わった。
もちろん、元はシェイクスピアだから、演劇的な演出や饒舌で長たらしい台詞が多い。そういうところは、現代の映画作品としては少し違和感のある場面もある。扱うテーマも話の流れもシンプルで、今風の凝ったプロットに慣れていると、物足りなさを感じるかもしれない。
それに、それぞれの王たちを見る目は、歴史とは少し違うような感じもする。これはたぶん、シェイクスピアがこれを書いたときの世情とか自身の思想も入っているのだろう。まあ、司馬遼太郎みたいなものだろうか。
百年戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89
しかしそれらを補って余りあるのが、俳優たちの存在感だ。特に最初の「リチャード2世」のベン・ウィショーが濃ゆい。もともとこの人凄いんだけど(パフュームとか)、このお話では、正統な血筋の王が、退位を迫られる前後の、自己愛や他者への呪詛の台詞が、滑らかな瘴気を立ち昇らせていて。よくまあこれだけ朗々と他人を呪えるものだなと。
これがつまり、タイトルに「嘆きの」とついている所以だ。原題は"hollow crown"だから、普通に訳せば「虚ろな王冠」だろうけれど、「嘆きの」としたのは正解だろう。
そもそも王朝の開祖というものは、結構力づくの即位が多いのが当然なのだろうし、それ以降、次第に定着して正統性を増していくというだけのことなのだが、何代も経るうちに、世界の開闢以来そうであるような錯覚に陥ることになる。
リチャード2世の呪詛は、その錯覚、共同主観を毟り取られる嘆きなのだ。共同主観が消え失せたら、世の中は麻のように乱れるぞという警告でもある。
そう。嘆かわしいことなんだこれは。歴史の中で新陳代謝を繰り返すためには、必要なことではあるけれども。
この、共同主観の再構築は、同時に、新たな王朝を開く王の責務でもある。ヘンリー4世が死の間際に王太子に伝えたことは、呪いを跳ね返して王権に伴う責務を継承していく秘訣でもあった。
なにより、代が替われば遺恨も薄れるというものだろう。
後を継いだヘンリー5世は、国内をうまく収める一方、大陸では大きな戦果を挙げたそうだから、イングランドにとっては傑物と言ってよい王だったのだろう。急死しなければ、イギリスとフランスの関係は今とは全く異なっていたかもしれない。
歴史のIFはそれとして、ヘンリー5世がどのような態度と決意で、自分の放蕩の過去と決別したかは、このシリーズ前半の大きな見どころ。
演じるトム・ヒドルストンが、即位式で昔の仲間の悪党に見せる表情が、これまたいい出来。ベン・ウィショーの気持ち悪さとかなりの勝負。
ということで、1日たっぷり楽しめました。
来週は後半を観る予定。ベネディクト・カンバーバッチのリチャード3世ですよー。
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