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April 2017

2017.04.30

「僕とカミンスキーの旅」

年の離れた二人の曲者が繰り広げる珍道中。老画家が時折放つ箴言が、世の真理を言い当てているようなそうでないような、思わせ振り具合がよい。若い方の自称伝記作家は、老画家の偏屈と我儘に振り回されるのだが、なぜか徐々に、この老人に親愛と敬意のようなものを抱き始める。ように見える。

老画家の言葉に、ひと筋の真実を見たからだろうか。

その感情は、老画家が一途に思いつめた昔の恋人と再会して、その俗物振りに打ちのめされた後、いっそう強まるようだ。

年寄に対する敬意というのは、その人が切り抜けてきた様々な体験が、言葉にしなくても滲み出てくるところに由来すると思う。
この作品の老画家は、その感じをよく出していた。

心温まるとは言わないが、味わいのある一本。

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2017.04.29

「夜は短し歩けよ乙女」

実写では出来ないアニメのよさを存分に生かした快作。観ていて楽しい。

高度成長期昭和の少しバンカラ風で、かなり男目線のご都合主義はあるけれど、いいんじゃない?

現代っ子の女性が見たら、なんだこのおっさん臭と思われそうだけれど。

ワタクシは堪能いたしました。

「恋せよ乙女」の方はどういうお話だったかしら。。

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「ムーンライト」

北米で大ヒットしたそうな。
私にはわからない。

映画の質は高いと思う。
ただ、こういう純粋な愛というのか、そういうものが私にはよくわからない。

これを描くのに同性愛を取り上げたのはおそらく正しい。男女の愛にはもう少し、普通に生きていればいろいろな夾雑物が混ざっているものだろうと思う。打算だってあるだろうし、好悪もあるだろう。子供の存在も複雑だ。それは、主人公の朋友がまさに示しているとおり。

しかし、社会的に存在をまだ十分に認められたとはいい難い同性愛は、損得で言ったらおそらく損であるのに、惹かれてしまうという形で、その存在と力を浮き彫りにすることができる。これはたぶん、そういうコンセプトでつくられた作品のひとつだろう。

という程度の感想にとどめておこうかな。

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2017.04.16

「人生タクシー」

味のあるいい映画。

町中を走るタクシーを舞台に使って、監督自身がハンドルを握って撮ったロードムービーの簡易版。といった趣。

冒頭で、なにげない町の交差点の風景が映っている。それがしばらく続く。何がはじまるのかと思っていると、カメラが少しづつ引いて、画面の下から車のダッシュボードがせりあがって見えてくる。同時に車はゆっくり走り出して、これが車内から外を見ている風景だと初めてわかる。

この最初の掴みがすごくうまい。
ああ、これから面白い映画を見せてもらえるんだ、ということが、何の台詞も音楽も無しに、ただ映像のわずかな動きだけで伝わってくる。
すごいね。
それだけでもすごい。

この最初の登場人物であるダッシュボード君は、その後も、花を贈られたり、最後はちょっといやな目にあったりして、監督その人の暗喩にもなっている。


お話は、現代のイランという国で、人々がどんな風に生きているか、その断片を切り取っている。日本人には想像もつかないようなこともあれば、同じ人間として共感できることもある。

それらを、タクシーの客として乗ってくる人々の口を使って語らせる。演技なのかもしれないが、演技らしからぬ自然さ、本音がある。

言論統制の厳しさがあちこちに顔を出す。
人々の不道徳や自己中心的な考えが、淡々と描かれる。

そんな中で、女性客の正義感や小さな女の子の生き生きして恐れを知らない様子に勇気づけられる。

監督が何を描こうとしているかとか、メッセージはとか、そういうありきたりの捉え方を超えて、ここには善いもの、温かいものがある。

短い映画だし、唐突な終わり方ではあるけれど、たいへん満足しました。

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2017.04.14

「グレートウォール」

わりといいエンタメ映画。
中国らしい壮大というか大袈裟な演出が、滑稽にならず、うまくエンタメになっている感じ。十分に金をかけて、安っぽく見えないようにしている。その点で、中身はハリウッド95%くらい。邦画でこういう色合いの映画はあったかな・・・

お話はシンプルな定番でしっかりしている。
中国が世界の最先端だった時代設定ということにして、当時の超兵器である黒色火薬を巡って、貪欲で猜疑心が強く自己中心的な西洋人に対して、信頼や公益を説く東洋人の姿を、かっこよく描いている。
なかなかいいじゃない。アメリカ人は気に入らないかもしれないけどw。

ちょっと面白いのは、霧で視界ゼロの戦場で、数撃ちゃ当たる式の絨毯爆撃を、司令官が当然のように指示して即実行しているあたり。こういうところを見ると物量中国に萌えます。最近米国はあんまり物量に物言わせるイメージがないのでw

饕餮の造形もいい。もっさりしたイメージでカオティックな姿だと思っていたけど、こういう素早い恐竜みたいなのでもいいだろう。そこはまあファンタジーなんだし。

わるくない出来だと思うけれど、一方ですぐ忘れそうな感じではある。女優さんの演技がまだ化粧品の広告みたいだし。ジン・ティエンていうのか。キング・コングでは、おまけみたいな出され方で気の毒だったけど、ここでは堂々の主役。でもなんだか動きのない演技。
そしてマット・デーモンだし。いや、好きだけど。

米国で興行的に振るわなかった理由をいろいろ空想してみると楽しい。

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2017.04.08

「ゴースト・イン・ザ・シェル」

予想通り、凡庸を絵に描いたような駄作。

予告編でそれは薄々わかってた。
荒巻を演じるのがたけしだとか、少佐の義体が白だとか、センスがないのが見るだけでわかってしまったが、確認しに行って、やっぱりダメダメだった。

それに、押井臭が強すぎる。
何なんだその毎度お馴染の犬は。アヴァロンなんか出すんじゃない。エンディングの曲はどっから借りてきた。

いやむろん私は「天使のたまご」をLDで買ってしまったほどの押井臭愛好者だが、攻殻機動隊をそれで作ってほしいとは全く思わない。

鋼鉄の表面を移ろう影のような微かなゴーストを僅かに織り交ぜてハードボイルドに描くのが攻殻の世界だろ。
最初からどろどろべたべたの人間ドラマもどきは、攻殻とは全く相容れない。

まったく作品世界を愚弄するのもいい加減にしろ。

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2017.04.02

「たかが世界の終わり」

圧倒されました。だからというわけでもないが、
敢えて、世評と違うことを考えてみた。

* * *

主人公は、都会へ出て、芸術の分野で成功した次男坊。自身の余命を知って、故郷の田舎へそれを告げに還る。

なんだお涙頂戴の余命ものか。
と思うと、これが違う。

いまでは実家は、父が亡くなり、母と兄、妹、そして兄嫁が住んでいる。そこへ帰ってみると、のっけからとげとげしい雰囲気。主には兄の態度から来ている。

田舎でしょぼい仕事をしている兄。実家を背負って立つ義務を生まれながらに課せられている。そこへ、都会の成功者として弟が帰ってくる。何不自由なく望む仕事を志して成功を収めた弟。心穏やかではおれない。

実家はいまでは実質、兄が仕切っている。家庭の誰も家長の意志に逆らえない。母でさえも。家長としては、別の道での成功者である弟は疎ましい存在だ。一刻も早く立ち去ってもらい、元の、自分を中心とした小世界を取り戻したい。

一方、母、妹は、普段の家長の抑圧に鬱屈している。家長との対立軸を意図せずもたらす成功者の帰郷は、その鬱屈の絶好のはけ口だ。兄嫁も、表面上は夫に口答えもしない従順な妻の顔の下で、やはり不満を積もらせている。が、それははっきりとした言葉や行動になりにくく、微妙な表情や仕草で表明するに留まっている。

これ、どこかの国の田舎とそっくりだ。
家長である兄のつっけんどんで自分本位な態度、やさぐれている妹の様子、兄嫁の面従腹背。母だけは、さすがに少し違う。日本の母親はこれほど直接的に言葉を使わない。我々はその曖昧さを指して奥ゆかしさと呼ぶのだが。

私には田舎とか実家というものがないから、本当のところはよくわからない。けれども、あちこちツーリングに行く中で、これとそっくりの構図を何度も見かけたことはある。田舎の人たちにとっては、都会から来る一過性の来訪者は、自分たちの家庭内・村内権力闘争のダシに過ぎない。来客をもてなそうとか、自分たちをよく見せようなどの意識は無いのが普通だ。もちろん例外は多々あるけれども。

彼らは、様々な慣習やしがらみに縛られている。その上家庭内ではお互いを束縛している。家長でさえ、他の家族から言い知れぬ圧力を加えられている。そして、都会というところは、それらから自由になることと引き換えに、孤独という荷を課せられるところなのだ。

この、一見いがみあっているように見える家族の兄と妹が、弟の帰郷の理由を話し合う短いシーンがある。そこでは、さきほどまでの諍いは嘘のように棚上げされ、弟を自分たちとは別世界のものとして見る空気が作られている。互いに対する愛憎は複雑に絡み合っていても、外に対しては一致結束しているのだ。

短い休戦を挟んで、再び闘争開始。日が傾く頃のデザートタイムで、ついに兄は、弟をとっとと帰らせるべく、強引に話を進める。少しでも弟を長く引き止めたい母と妹は激烈に反応。兄もヒステリックに応戦。

こんな状況で果たして、弟は、自分の余命について語り出せるだろうか。できるわけがない。たまさか帰郷してきた自由人の余命? そんな程度のナイーブな、”たかが世界の終わり”程度の話など、この激烈な生き地獄を毎日生きている人々にとっては、さしたる意味を持たない。

結局、家庭内の口論に夢中で突入した彼らを尻目に、誰にも見送られず家を出ていく弟の、憔悴しきった有様は、体調不良のせいだったろうか。むしろ、この生き地獄の凄まじさに圧倒され切った結果ではなかったか。

まあいいさ。と心の中で弟は思ったはずだ。せっかく束縛を断ち切る機会がやって来たというのに、いつもの内輪の争いにはまり込んでみすみすそれを逃すのも、また田舎らしい。飛び立とうとした自由は、扉に遮られ、行き場を失って地に堕ちた。最後のシーンの意味はそういうことだろう。

* * *

もちろん、弟以外の登場人物の苛立ちを、弟に余命の話を語らせたくない愛の現れだとかの受け止め方はあるだろう。監督でさえ、インタビューでは「愛が」みたいなことをしれっと言っているらしい。

嘘を言え。
この超一級の映画監督が、愛などという単純で半面的なものだけを描いて満足するはずがない。最後のシーンでそう言っているじゃないか(笑)。

そういうふうに私は観ました。

「トム・アット・ザ・ファーム」に続いて、またまた傑作誕生。見逃さなくてよかった。

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「はじまりへの旅」

この作品には、3種類の家庭が登場する。
ひとつは、主人公たちのような、権力や富の蓄積に否定的で、小さな家族を中心に孤立した生活を営むもの。ヒッピーと呼ばれているけれど、まあ世捨て人の類。チョムスキーという人を信望しているようなので、アナーキストなのかもしれない。
もうひとつは、社会性の中に身を置いて、権力や富も正しく使えばよしとする肯定的な姿勢で生きるもの。言うところの保守という感じ。
三つ目は、その中間というか、曖昧にルーズに、世間の荒波を大過なくやり過ごしていくもの。世の中の大多数がここに入る。いわゆる大衆。
消費やマーケティングの現場では、大衆というものはなくなったことになっているような話を聞いた気がするけれど、生き方の根幹では、大衆というものはまだ根強く残っているんだろう。そういう種類のもの。ポリシーはあんまりなくて、勉強も鍛錬もあんまりしなくて、空気を読んで周りに合わせる。私だ。

お話は、世捨て人家族が、妻であり母である人の死を切っ掛けに、葬儀を巡って世の中と接触を試みる展開。割とありがちな筋書。

大衆的な一般家庭を風刺しながらも一方で、社会性のなさがどれほどのマイナスであるかを描き出す。純真な子供たちをダシに使いながら(笑)

結局、葬儀では、社会というものに全く歯が立たずに敗退。子供の中にも、自分たちの生活の大きな欠陥に気付く者が出て、ヴィゴ・モーテンセン演じる主人公のアナーキストは挫折を余儀なくされる。

まあ、それだと救いがなさすぎるので、最後に故人の遺志を最大限尊重する形で社会の抑圧に一矢報いて、いい感じでエンディングへ。妥協点を見出して、子供たちの未来に希望も持たせて終了。

よろしいんじゃないでしょうか。

ヴィゴ・モーテンセンの少年時代をwikipediaで読むと、この作品との親和性が高い感じがする。自身もかなり野性とか孤高とか自省を好むリベラルなお人のようで、自分を演じているようなものだったんだろうか。

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