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2016.12.16

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」

スターウォーズのシリーズについて、感想を冷静な視点で書くのは、難しい。
なにしろエピソードⅣが1977年ですよ。40年前だ。

いま、それなりの年齢になっている人は、人生のかなりの長きにわたって、これと付き合ってきたことになる。長さだけなら「こち亀」とか「さざえさん」だって長いのだが、「スターウォーズ」の世界中での広がりようは別格だ。

と、一応持ち上げておいたうえで。

この「ローグ・ワン」は映画としては残念な出来だ。
理由は簡単。登場人物たちの背景がほとんど描かれていないので、ピンとこないのだ。

なるほど主人公については、少女時代に起きた一大事件のエピソードが挿入されてはいる。けれども、その後のことはまったくわからない。
父親をおびき出す罠に使われそうになったという短い説明が入っているが、説明であって描写になっていない。

使われた尺の短さが問題なのではない。
語り口が下手なのだ。

逃亡してきたパイロットはどうだ。
彼がなぜそんな重大な機密を託されて、それまでの人生を捨てて命を的の逃亡者になったのか、納得いくような描写があっただろうか。
確かに、機密を託した科学者の暗示的な言葉は挿入されているけれど、ここでもそれは、説明的な台詞でしかない。なんというか、下手だなあ。物語ってそうじゃないだろ。

帝国軍仕様のアンドロイドはどうか。
なぜ彼が、あれほどの最後まで頑張るのか、その感触が変だ。
まあ、それを言うとR2-D2も変なのだが、あれはレイア姫という高貴なお方の忠実なペットだからという納得感でさらりと流せる。しかし、本作のアンドロイドも含めた多くのならず者達が、なぜこれほどrebellionに忠誠を尽くすのか、その背景の描写がない。
薄っぺらく感じられてしまう。

安っぽいのはひとつの味わいだが、薄っぺらいのはいかん。


まあ、スターウォーズはスペースオペラだから、このくらいでいいのかもしれないが、もうちょっと上手く乗せてくれよ、と言いたくなる。

そんな中ではあったけれど、主演のフェリシティ・ジョーンズは、主人公ジンの空白の成長過程を、荒んだ表情や棘のある言行だけで、どうにか表現していたのは、まあ救いですかね。

ルークやその子供たちが、いわばフォースのエリートであるのに対して、ローグ・ワンの登場人物たちは特別な素質も素養も持ち合わせない戦災孤児たちだ。その彼らをして、May the force be with "US". と言わしめるところに、この作品の値打ちはあったのだろう。あったはずだったのだが・・。

主人公以外のキャラクタ達は、思わせぶりな風体ではあったけれど、影が薄かった。残念。

だいたいね。

最後に暗闇から登場するダースベイダーに、たいがいのキャラは吹っ飛ばされてます。
ちょっと出てきてライトセイバー軽く振っただけのベイダー卿が一番恰好いいっていうのは、やはりこの作品は過去作を全く超えられなかったと言えると思います。これがつまり、冷静な視点で語るのは難しい、ということ。

そのまた後のトリを務めた人は・・ここは笑うところだったっけ?
CGなのかな。


希望ガーという台詞を言わずに、それを感じさせること。その前段の絶望の深さを描くこと、その深みから希望にたどり着くまでの葛藤を描くこと、いずれもできていなかった。

たぶん、もう少し上映時間を長くとって、必要なエピソードを入れるだけで、ずっとよくなったと思うけど、回転上げて売上上げないといけない宿命なんだろうな。

よさそうな題材だっただけに残念。すごく残念。

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