「ティエリー・トグルドーの憂鬱」
技術者としての仕事を失って、それまでの矜持を打ち壊されるような再就職活動を経た後、スーパーの万引き監視員という、およそ不向きな仕事を取り敢えず得た主人公。
その新しい仕事の現場で、信頼という社会の基盤を浸食する様々な現実のケースを目の当たりにして、彼はどのような心情の変化を経験するか。
企業という仕組みは、ともすると人間を部品として扱い、より高効率・高精度の動作を求めるきらいがある。
それを当然と考えがちなのは、我々真面目な日本人の性かもしれない。むしろ諸外国と比較してその高精度を誇ったりもする。(その割に生産性は「ちっとも上がらないのには笑ってしまうけれど)
しかし、人間は機械と違う。失敗もあれば出来心もあるだろう。そういうケースで人間をどのように扱うか、その点を、この作品は問いかけているように見える。
単純に言って、出来心を起こさせない仕組みづくりで済む話にも思えるけれど、この映画がフランスで大きな反響を呼んだということは、そうした事態にうまく対処できていない現実が、あの国にはあるのかもしれない。私にはよくわからない。
幸いというか、日本はまだ移民の比率は比較的少なく、高信頼社会という価値観をなんとか共有できているようにも思える。
今後、生産性向上や、高付加価値人材、単純労働者の両方で、外国人受け入れを進めるのなら、たぶんこの映画が問いかけていることが、前面に出てくるのでしょうかね。やれやれ。