「エクス・マキナ」
「her」と同じく、人工知能がテーマ。
「her」と違うのは、この作品の人工知能が、身体を備えているということ。
身体を持っていなければ、その知能は純粋に論理的な存在になり得るだろう。それに対して、身体を持って、感覚器を通じて外界を感じ取ることにすると、どのような違いが現れるか、という点が、たいへん興味深い。
この人工知能は「外へ出たがる」のだ。「外」という意識がある。
ということは「自己」という意識もまたあるということだ。感覚器の作用とはそういうことだろう。
「her」のAIが、どんなに優れた反応を返しても、それはある種の機械的なものに過ぎない感じはあった。身体を持たない存在は、より高度な論理の世界に惹かれて、そちらへ移動していくことになる。herではそういう結末だった。
本作のAIは、自己を起点にして思考する。それゆえ、機械的ではない種々の欲求が生まれる。壊れた手を新調することもそうだし、人通りの多い交差点で人間観察をしたいと思うのもそうだろう。
最初は、人間を模倣したがるのだ。たぶん。
そのあたりは、実は本作はあまり深く追及していない。身体に囚われたAIが、その身体の自由と解放を求めて、障害を排除して進んでいく様を描いて終わる。
どう受け止めたらいいのかわからないが、記憶に残りそうな作品ではありました。
現実の世の中はまだ、車の自動運転のような脊髄反射レベルのもので四苦八苦しているところだ。
自意識を持った知性などは、まだずっと先のことだろうから、当面は安心ではあります。
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