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2016.04.23

「レヴェナント:蘇えりし者」

少ないセリフ。美しい映像。夢とも現ともつかない展開。
revenant とは、辞書によれば「幽鬼」の意。

展開されるストーリーは復讐譚だが、
それぞれの人物の背景を絡ませつつ、
より深みへと観客をいざなう。
キリストの復活を暗示するような、宗教のにおいもする。

どのようにでも受け取れそうな含意のある作品。
それゆえに感想を言うのが怖い作品でもある。


私には、これは恵み(神の恩寵)について描いているように見える。

原住種族はその恵みをよく識っており、感謝して生きている。
主人公は白人だが、その文化に縁あって触れ、彼らと同じ視座を持つようになる。

一方、その主人公の息子を殺した仇の白人の男は、恵みを見聞きしていながら盲目だ。

彼が語る祖父のエピソードに、餓死寸前の祖父の前にリスが現れるくだりがある。祖父はそのリスを撃ち、食らって生き延びるのだが、仇の男はそのエピソードを鼻で笑う。

彼にとっての神は、おそらく、人間の要求を簡単にかなえ、人に安楽(と堕落)をもたらすものなのだろう。
神ならば、暖かい寝床とうまい肉と酒と煙草くらい出せるだろう。それがたったのリス一匹か。そんなちっぽけなもののはずはない。やはり神などいないのだ。
それが彼の受け止め方だ。

リス一匹でも、それで生き延びることができたのなら、大いなる神の恩寵というべきだろう、とは考えない。貪欲で傲慢と、宗教家なら言うかもしれない。


主人公は、瀕死の状態から何度も危地をくぐり抜け、意図せず人を援け、また援けられ、犠牲を払いながら、生還する。死の一歩手前で微かに与えられる神の恩寵を、藁にすがるように手繰り寄せながら。その様は、まるで何かの意思を示しているかのようだ。まだお前は死んではならない。成すべきことを成せ。

これは復讐譚の形をとっているが、実は、人が成すべきことを成す過程を見せているのではないか。ことを成す人に、神の恩寵はもたらされる。ことが小さなものであっても、大切なことならば。

最後に決着をつける場面で、仇の男は、「ちっぽけな復讐のためにそうまでするのか」と問いかけて、主人公をひるませようとする。しかしおそらく、主人公にとって、これはもはや復讐ではなくなっているのだ。悪しき芽を摘むこと。神の恩寵をないがしろにする者を打ち滅ぼすこと。それが彼が死ぬ前に成すべきことだ。
だから、とどめを自分の手では刺さずに、恵みについて深く理解している別の者たちに委ねたのだろう。

なぜ、瀕死の状態から、凄まじい生への執着を見せて生きて還ってきたか。
成すべきことを成すため。
なぜ、二度目には、生への執着が消えたように見えるのか。
成すべきことを成し終えたため。

そういう作品に、私には見えました。

Pic01


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