「ヴィジット」
ナイトシャマランの映画は、分類というものを受け付けないところがある。今回も、これは○○だと言い切れないもどかしさがあって、いつも狐につままれたような気持になる。
観てから一週間ほど経って、じわじわと、この作品が言いたいことがわかってきたような気がするので、とりあえず書き留めてみる。以下ネタバレ。
驚きの展開が毎度の隠し味で、「シックス・センス」ではそれがあまりに大当たりだったから、それ以降、毎回サプライズを期待され過ぎで、少し気の毒な気もする。とはいえ、本作の急展開は、それなりに工夫したとは思う。
しかしなにしろ、この人は映像を作るのがうまいのだ。それが却って、お話の意外性を押しのけてしまって、展開よりも場面々々に立ち上る空気感に取り込まれてしまう。祖父母だと思って疑わなかった老夫婦が、実は精神病院から脱走し本物の祖父母を殺害してなりすましていた基地外老人だったとは。ゆめ思うまい。
祖父母が見せる奇行は、老いやボケからくるものだとばかり思っていて、知らないうちに、老いに対する嫌悪や恐怖が植えつけられる。そして、実はそれが、親族でもなんでもない、心の病を持った赤の他人だったとわかったとき、見ている方はどう考えればいいのか。
ここまで感じてきた嫌悪や恐怖は、精神病患者のものだとわかったのなら、十分納得できる。それでは、その事実を知る前に、これは老いからくるものだと思っていたことは、どう処理したらいいのか。
老いがもたらす奇行と、精神病患者のそれとで、外形的な違いは感じ取れなかったという事実を突きつけたうえで、それの受け止め方を問われているような気分になる。
この作品は、何ら結論を求めていない。
表面上は、母がまだ小さな子供たちを最後に抱きしめて無事を喜ぶという、ココロアタタマルありきたりな話に落としている。うそぶいているという感じもする。監督が本当に言いたいことは、その奥に、それとわかるように作り込まれている。
ナイト・シャマランお得意の手品に今度も嵌められました。
だから、次もまた見に行ってしまうわけなのだ。