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2015.11.14

「Last Knights」

騎士の名誉と、富や権力とを対置させた、普遍的なストーリー。どの役者も、役にぴたり嵌まっていて、なかなか良い仕上がりになっている。

モーガンフリーマン演じる封建領主の、審判の場での堂々たる演説と、盟友の封建領主が、ことを納めるために皇帝に進言した内容が、この映画の肝。どちらもとてもよい。

忠臣蔵がストーリーの原型だが、世界に通用する普遍性を持たせるために、工夫もされている。そのあたりは、監督のインタビューにくわしい。

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そこには今の世界、特に先進国が抱える病が映されているように感じた。富と権力がすべてで、いろいろな策略をもって自分たちにそれが集中していくようにする。金融業界をはじめあらゆる組織やシステムがやっていることです。彼らが強大化していけばいくほど、民衆もそちらになびいていく。誰もがもっとモノを持たなくては、もっとお金を稼がなければならないと思い込む。

 あとはそれとは違う価値観の人たち、日本で言う「道義」や心の部分でつながっている人たちがいて、その両方が非常にシンプルに描かれていた。それは『忠臣蔵』だけでなく、世界中のあらゆる物語で語り継がれている一種の王道だと思う。

そのほかにも、絶対王政と封建制のせめぎ合いを、どのような形で納めるか、という点にも考慮の跡がみられる。結末のつけ方は、忠臣蔵とはかなり異なるものになった。絶対王政を経験しなかった日本におけるテロ事件が、幕府中央官僚寄りの結末を迎えたのに対して、この架空の物語は、もう少し封建領主寄りに立っているように見える。

その中で、王政を押し進める皇帝の考え方に、一定の理解を示していて、バランスがとてもよい。

ストーリーテリングとしては、やや淡泊で理知的な感じがあって、これは監督の個性なのだろうけれど、情緒に偏りがちな邦画とは随分違う。日本国内では、あまりウケは良くないかもしれないが、個人的にはこれくらいでよいと思う。激し過ぎないところが、抑えた色調と雪景色に似合っている。


というあたりまで考えをまとめていたら、パリでのテロのニュースがあった。

見方によっては、この作品の主人公たちは、テロリストだと言えなくもない。主張や思いを、暴力を使って実現しようという点ではそうだろう。しかし、これをテロリストと呼んではいけない気もする。もしそう呼んでしまうと、監督インタビューにあった「策略」に嵌まることになるからだ。

むしろ、その行為の基盤にある考え方に目を向けるべきなのだろうけれど、手続きの正当性を基礎に置く民主国家の中では、それも本筋に据えにくい。なるほど、テロリストは、近代民主国家の弱い部分、自己矛盾を、そうではないもうひとつの世界から、的確に突いてきているというほかない。

作り手の思想が素直に出ている作品なので、いろいろ考えさせられるところがある。そういう映画でした。

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