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November 2015

2015.11.29

「黄金のアデーレ 名画の帰還」

クリムトの作品モデルであり、また絵画の持ち主でもあった名家が遺した娘が、過酷な戦争の時代を経て、米国に逃れ、年老いたいま、昔日の栄華と人の尊厳を取り戻すべく、ナチからオーストリア政府に、不法な手段で渡った傑作の返還を求めて、訴訟を起こすお話。実話だそう。

この主人公の老婦人が、名家の裔としての気位の高さと人間味を、同時に持ち合わせていて、話の筋に品格を与えている。金目当てではない、奪われた家族の絆を取り戻すお話として、厚みを出している。

それも、上から目線でないところが、とてもよい。
むしろ、オーストリア政府の官僚的な姿勢に対する憤りが、庶民の共感にもつながる。

期せずしてその味方になるのが、米国の柔軟な法制度と、最高裁判事や弁護士だったりするところが、米国人の優越感を少しくすぐるところもあるかもしれない。

ナチ絡みの話は、結構暗い方に行きがちで、最近は敬遠していたのだが、この作品は、そこはあまり強調せず、むしろ暴力的な人権や財産権の蹂躙を、普遍的なものとして捉えていて、飲み込みやすい。個人的な恨みのような形にしないので、品が良い。

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2015.11.28

「ラスト エンペラー」

午前十時の映画祭で見た。
このところ、これはという作品になかなか出合えなくて、昔の作品の上映に足が向く。

王朝の末裔が、激動の時代に、強国に利用されて滅びるお話。取り巻き達も、旧い仕組みの中で安楽をむさぼっていると、そういう滅びを早めるという話でもある。

主人公の溥儀に人たるを教えた刑務所の所長が、エピローグでは、文革の嵐の中で、理不尽な扱いを受ける様を描いて、諸行無常を感じさせる。

坂本龍一は、さすがに役者としてはダメな感じだったけれど、音楽はいま聞いても色褪せない。

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「007 spector」

なんだか、格調低く、そもそものB級娯楽大作路線に戻った感じ。

ダニエル・クレイグの007、悪くないと思ったけど、これでおしまいになるのだろうか。

レア・セドゥーはあんまり注目してなかったが、やっぱり俳優というよりはモデルさん。
後半のダレた感じは、この人の大根ぶりにも多少原因がありそう。
なぜボンドがこの女にゾッコンになるのか、全くわからない。

個人の能力よりシステムや組織力が優位に立つ流れを阻止する、というお話の背景も、昨今はかなり陳腐。

そんな中で、序盤に、モニカ・ベルッチ演じる寡婦が、ストイックな教会の回廊に喪服で佇むシーンは、すごく絵になっていた。

まあ、それくらい。

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2015.11.21

「ハンガー・ゲーム FINAL: レボリューション」

パリでテロがあったりして、なんだか世界は随分複雑になってるんだなあと思っていたら、その辺りの複雑な感じを、図ったようにこの映画が見せてくれて、タイムリーといえばそう。予測して作っているのか、それとも世情に合わせて迅速に脚本を書き換えて編集しているのか。

敵役のスノー大統領が、自分の側の市民に向けて、避難指示を放送するときの台詞が、「反乱軍は、われわれの安全で豊かな生活そのものの破壊が目的だ」と言ったのが、いま海の向こうで世の中を騒がせているテロリストの行動とぴたり一致していて、ぎくりとする。

テロリストといっても、十分な資金の裏付けがあっての活動であるはずで、それは、彼らが手に入れた油田だとされている。でも変じゃないか。アブラが金に変わるためには、誰かがそれを買っているはずだ。ところがそういう肝心要の解説は、マスコミからは流れてこず、やれ空爆だ国境閉鎖だとか、庶民受けしそうな派手な動揺だけが喧伝される。このあたりも、この作品シリーズが一貫して批判的に見せている、「プロモ」なのじゃないかと思えてくる。

避難民が官邸の前で足止めを食って、そのあと起きることなんか、いまとなってはちょっと笑えないところもある。

そういう点が、この映画のなかなかニクいところだ。

エピローグもまあ納得できる終わり方。

アクションもいろいろ盛り込んでいて、エンタメとしてもしっかり作りこんでいて、わるくない完結編でした。

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2015.11.14

「Last Knights」

騎士の名誉と、富や権力とを対置させた、普遍的なストーリー。どの役者も、役にぴたり嵌まっていて、なかなか良い仕上がりになっている。

モーガンフリーマン演じる封建領主の、審判の場での堂々たる演説と、盟友の封建領主が、ことを納めるために皇帝に進言した内容が、この映画の肝。どちらもとてもよい。

忠臣蔵がストーリーの原型だが、世界に通用する普遍性を持たせるために、工夫もされている。そのあたりは、監督のインタビューにくわしい。

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そこには今の世界、特に先進国が抱える病が映されているように感じた。富と権力がすべてで、いろいろな策略をもって自分たちにそれが集中していくようにする。金融業界をはじめあらゆる組織やシステムがやっていることです。彼らが強大化していけばいくほど、民衆もそちらになびいていく。誰もがもっとモノを持たなくては、もっとお金を稼がなければならないと思い込む。

 あとはそれとは違う価値観の人たち、日本で言う「道義」や心の部分でつながっている人たちがいて、その両方が非常にシンプルに描かれていた。それは『忠臣蔵』だけでなく、世界中のあらゆる物語で語り継がれている一種の王道だと思う。

そのほかにも、絶対王政と封建制のせめぎ合いを、どのような形で納めるか、という点にも考慮の跡がみられる。結末のつけ方は、忠臣蔵とはかなり異なるものになった。絶対王政を経験しなかった日本におけるテロ事件が、幕府中央官僚寄りの結末を迎えたのに対して、この架空の物語は、もう少し封建領主寄りに立っているように見える。

その中で、王政を押し進める皇帝の考え方に、一定の理解を示していて、バランスがとてもよい。

ストーリーテリングとしては、やや淡泊で理知的な感じがあって、これは監督の個性なのだろうけれど、情緒に偏りがちな邦画とは随分違う。日本国内では、あまりウケは良くないかもしれないが、個人的にはこれくらいでよいと思う。激し過ぎないところが、抑えた色調と雪景色に似合っている。


というあたりまで考えをまとめていたら、パリでのテロのニュースがあった。

見方によっては、この作品の主人公たちは、テロリストだと言えなくもない。主張や思いを、暴力を使って実現しようという点ではそうだろう。しかし、これをテロリストと呼んではいけない気もする。もしそう呼んでしまうと、監督インタビューにあった「策略」に嵌まることになるからだ。

むしろ、その行為の基盤にある考え方に目を向けるべきなのだろうけれど、手続きの正当性を基礎に置く民主国家の中では、それも本筋に据えにくい。なるほど、テロリストは、近代民主国家の弱い部分、自己矛盾を、そうではないもうひとつの世界から、的確に突いてきているというほかない。

作り手の思想が素直に出ている作品なので、いろいろ考えさせられるところがある。そういう映画でした。

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2015.11.08

「白い沈黙」

児童虐待というか、誘拐なわけだが、こういうのが欧州の映画にはしばしば出てくる。日本ではあまりニュースにならないので、そういうことは少ないのかどうなのか。

この作品では、誘拐された子供が、自分の才覚で誘拐犯を取り込み、両親や友達に会わせるように仕向けて、ついに帰還するというストーリーになっている。

そんなうまい話しがあるんだろうかと思うのだが、どうなんだろう。

人身売買のビジネスなら、そんなことは起こらない気もするが、この映画の犯人は少し頭がおかしそうだから、そういうこともあるのかもしれない。

ともあれ、ロザリオ・ドーソンを久しぶりに見られて、その点はよかった。

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2015.11.07

「ミケランジェロ・プロジェクト」

第二次大戦の末期に、ナチス・ドイツが欧州全土から略奪して本国に隠した大量の美術品を奪還する作戦のお話。映画としては、まあほどほどの出来として、そういうことがあったという勉強になる。

美術品より人命の方が重いというポリティカリーコレクトな命題はあるけれど、一方で、美術品は、人々の文化と歴史の蓄積で、それを失ったら文明は滅びるという考えもある。作戦のメンバーが前者から後者へ考えを変えていくのがお話の肝。ポリティカリーコレクトに反論する言い方・考え方を教えてくれる。

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「マイ・インターン」

ちょっと出来過ぎている感もあるが、小粒でも幸せな感じにあふれている、アメリカンドリームのお話。今風の若者ばかりの風景の中に、年輪を重ねた、頼れる男を置いて、伝統の良さや強さを見せる。

差し込まれるエピソードも、意外性があって楽しい。女社長が母親に間違って送ったメールを削除する騒動は、かなり笑えた。

成功者の若い女社長の夫は、難しいあれこれを考えさせて、これが話の結びになるのだが、実際にはどうなのだろう。経営のプロであるCEOというものよりも、カイシャやその土地に根付いた人材の能力で社業を盛り立てようという結論は、CEOというものに対する批判を含んでいる。あまり論評したくはないが、そういう空気は米国にもあるのだろう。

難しいことは抜きにして、アン・ハサウェイとロバート・デニーロはとてもよい組み合わせ。それだけで楽しい気分にしてくれる。このところはずれ作品が多めなので、ちょっと一服の清涼剤。

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2015.11.01

「ヴィジット」

ナイトシャマランの映画は、分類というものを受け付けないところがある。今回も、これは○○だと言い切れないもどかしさがあって、いつも狐につままれたような気持になる。

観てから一週間ほど経って、じわじわと、この作品が言いたいことがわかってきたような気がするので、とりあえず書き留めてみる。以下ネタバレ。


驚きの展開が毎度の隠し味で、「シックス・センス」ではそれがあまりに大当たりだったから、それ以降、毎回サプライズを期待され過ぎで、少し気の毒な気もする。とはいえ、本作の急展開は、それなりに工夫したとは思う。

しかしなにしろ、この人は映像を作るのがうまいのだ。それが却って、お話の意外性を押しのけてしまって、展開よりも場面々々に立ち上る空気感に取り込まれてしまう。祖父母だと思って疑わなかった老夫婦が、実は精神病院から脱走し本物の祖父母を殺害してなりすましていた基地外老人だったとは。ゆめ思うまい。

祖父母が見せる奇行は、老いやボケからくるものだとばかり思っていて、知らないうちに、老いに対する嫌悪や恐怖が植えつけられる。そして、実はそれが、親族でもなんでもない、心の病を持った赤の他人だったとわかったとき、見ている方はどう考えればいいのか。

ここまで感じてきた嫌悪や恐怖は、精神病患者のものだとわかったのなら、十分納得できる。それでは、その事実を知る前に、これは老いからくるものだと思っていたことは、どう処理したらいいのか。

老いがもたらす奇行と、精神病患者のそれとで、外形的な違いは感じ取れなかったという事実を突きつけたうえで、それの受け止め方を問われているような気分になる。

この作品は、何ら結論を求めていない。
表面上は、母がまだ小さな子供たちを最後に抱きしめて無事を喜ぶという、ココロアタタマルありきたりな話に落としている。うそぶいているという感じもする。監督が本当に言いたいことは、その奥に、それとわかるように作り込まれている。


ナイト・シャマランお得意の手品に今度も嵌められました。
だから、次もまた見に行ってしまうわけなのだ。

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