「ピエロがお前を嘲笑う」
クラッキングは、コンピュータの脆弱性を突くものだと思われているし、実際、表面的にはその通りなのだけど、実は人間の方がセキュリティホールになってしまうことも少なくないらしい。
この映画は、その基本をちゃんと踏まえていて、机の前でキーボードを叩きさえすれば何でもクラックできるかのような幻想を排している。
主人公たちは、ごみの山をあさり、臭く危険な下水道で体に傷を負い、看守を情でほだして騙まくらかして、目的を達する。そういう泥臭さを、コンピュータの世界と並行して描いている。
その点がとても評価できる。
一方で、マシン語ができれば天才、みたいな見方には難癖を付けたくなる。それが本当なら、6809で生まれて初めてゲームを作ったり、Z80のコードをICEでごりごり書いてデバッグしていた私は天才のはずだ。
いや、ひょっとして天才なのか>自分?(笑)
まあ、時代を経るにつれてコードの層が積みあがってきて、各時代ごとに中核になっているレイヤがあるというだけのことなんだろう。
いま気になるのは、スマホが世界を統べる以前、ガラケーが日本を席巻していた時代に、日本の大手メーカーが使い捨てにしてきたDSPプログラマーたちのことだ。いまごろ世を恨んで何か企んでいないか、そちらの心配もないとは言えない。
セキュリティの世界の風景も、状況はどんどん変わっているようで。最近はこんな感じでもあるらしい。「ビッグデータツールチェインのセキュリティはビッグリスク、あるいは、誰もHadoopをスクラッチからビルドする方法を知らない件について」
映画ほどでなくても、少し深刻な事案が具体化して、揺り戻していくことになるのだろう。
というようなことをつらつら考えるには、いい題材ではありました。
主人公の彼が、頼りないオタクから一人前の男になっていくプロセスという見方は、ここでは採らないことにしておこう。それではまるで、不敵な犯罪者こそ一人前みたいな誤解を生みそうだし。