「ナイトクローラー」
勤勉で、勉強家で、仕事熱心な、悪魔。というものがいるとすれば、この主人公がそう。
彼がいかに悪魔であるかは、おしまいの方で、モノクロモニタに向かっていう台詞によく出ている。
「人の破滅の瞬間に顔を出す」
いかにも、小説や劇の中で、本物の悪魔が、含み笑いをしながら、罠にはまった人間を前に口にしそうな台詞だ。
が、この男の恐るべきは、相手を罠にはめたてやったとか、魂を奪ってやるとか、そういう悪魔的作為が、「ない」ことなのだ。こうした態度が必要であるビジネスで、集中して成果を上げ続けるためには、必然的にそうなるということを、地道に実践しているだけなのだ。普通の人間なら、普通の倫理観が歯止めになって、成果にむけてまっしぐらな行動はとりづらい。彼が人と最も違うのはその点だ。
魔人とでもいえばいいのか。
はじめは、単なる小悪党に見えたのが、持ち前の勤勉さでめきめきと手腕を上げていくのに、それに見合う倫理が、かけらも育っていかない。助手が評して、人間というものがわかってない、と言うのが的を射ている。
とはいうものの、この小気味よい仕事ぶりはどうだ。あちこちにインチキや誤魔化しがあっても、怠惰な助手や、無能そうな官憲や、学歴と階層社会に胡坐をかいたホワイトカラーたちと、何と違っていることだろう。詐欺的言動は、彼にとってはひとつの手段に過ぎない。能力こそが彼の認める唯一の価値なのだ。
あぶないあぶない。そういう点だけ見ていると、思わず取り込まれそうになる。弱小TV局の年増ディレクターがいい例だ。
こういう人物がもし現実にいたらどう思うかは別として、あくまでも作品として、すばらしくキレのある、おぞましいキャラクタを描いて、印象に残る快作でした。
でも、実際のところ、いかにも架空のお話に見えるが、どの仕事にも、こうした側面があることは否定できそうにない。程度問題に過ぎないともいえるだろう。そう思わせるのが、こういう作品のアブナイところなのだ。
許容範囲かどうか、その程度が、まさに問題なのだから。