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August 2015

2015.08.30

マクドを胃腸がうけつけなくなった

もう、何か月か前のことだから、そろそろひっそりと書き留めておくけれど、マクドが原因で、腹が下ってしまうということがあった。

もともと胃腸は弱くないし、酒もたばこもやらないしで、いたって健康で、多少の食い物ではおかしくはならない、そういう体質だと思っていた。

だから、マクドの業績が急降下を続けていて、世間の足が遠のいていると聞いて、逆に、それなら空いていることだろうし、世間がいうほどマクドの食事はひどくないと思うし、なにしろ安いしで、ほぼひと月ほど、昼は毎日、チーズバーガー2個、みたいな食事を続けてみたのだった。今年の5月の連休前あたりだ。

そうしたら、突然、腹がくだりはじめて、とまらなくなった。

はじめは、よもやマックだとは思わなかった。これが始まる直前に、夜、お呼ばれで六本木あたりの鳥料理屋で、あんまり旨くないのに値段と店員の態度だけはでかい店に行って、それにあたったのかと思っていた。

しかし、2週間ほど経っても一向に収まらないので、もしやと思って、マクドをやめてみた。

そうすると、徐々に収まって、いまでは元通りだ。それ以降、マックは月に1回くらいしか行っていない。

若い時は、マクドで食べておかしくなるということはなかったし、考えてみると、ひと月間毎日なんてことは、若い時でもやらなかった、だから、マクドが業績の下降に合わせて食材の質を調整しているとは思うまい。

確かにいえることは、もうジャンクフード程度でも影響を受けてしまうような歳になったらしいということか。
そういえば、親も年を取ってからは、外の食事はしょっぱくて食えないと言っていた。

なんだか少し寂しい。

ま、その代わり、自炊の美味さを堪能しているわけだけど。

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2015.08.29

「ナイトクローラー」

勤勉で、勉強家で、仕事熱心な、悪魔。というものがいるとすれば、この主人公がそう。

彼がいかに悪魔であるかは、おしまいの方で、モノクロモニタに向かっていう台詞によく出ている。

「人の破滅の瞬間に顔を出す」

いかにも、小説や劇の中で、本物の悪魔が、含み笑いをしながら、罠にはまった人間を前に口にしそうな台詞だ。
が、この男の恐るべきは、相手を罠にはめたてやったとか、魂を奪ってやるとか、そういう悪魔的作為が、「ない」ことなのだ。こうした態度が必要であるビジネスで、集中して成果を上げ続けるためには、必然的にそうなるということを、地道に実践しているだけなのだ。普通の人間なら、普通の倫理観が歯止めになって、成果にむけてまっしぐらな行動はとりづらい。彼が人と最も違うのはその点だ。

魔人とでもいえばいいのか。

はじめは、単なる小悪党に見えたのが、持ち前の勤勉さでめきめきと手腕を上げていくのに、それに見合う倫理が、かけらも育っていかない。助手が評して、人間というものがわかってない、と言うのが的を射ている。

とはいうものの、この小気味よい仕事ぶりはどうだ。あちこちにインチキや誤魔化しがあっても、怠惰な助手や、無能そうな官憲や、学歴と階層社会に胡坐をかいたホワイトカラーたちと、何と違っていることだろう。詐欺的言動は、彼にとってはひとつの手段に過ぎない。能力こそが彼の認める唯一の価値なのだ。

あぶないあぶない。そういう点だけ見ていると、思わず取り込まれそうになる。弱小TV局の年増ディレクターがいい例だ。

こういう人物がもし現実にいたらどう思うかは別として、あくまでも作品として、すばらしくキレのある、おぞましいキャラクタを描いて、印象に残る快作でした。

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でも、実際のところ、いかにも架空のお話に見えるが、どの仕事にも、こうした側面があることは否定できそうにない。程度問題に過ぎないともいえるだろう。そう思わせるのが、こういう作品のアブナイところなのだ。

許容範囲かどうか、その程度が、まさに問題なのだから。

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2015.08.23

「彼は秘密の女ともだち」

かなり作為的なプロットなので、そこは目をつぶって受け入れる必要がある。
また、プロットの説明のために、最初、かなりの尺が使われて、その説明的な部分は少し退屈だ。

さらに前半、顎は割れて突き出ているわ髭の剃り跡は青いわの彼が、ウキウキ気分で女装して、ショッピングやら食事やらするのを見ているのは、正直、苦痛だ。

という具合に、いろいろ辛抱が必要。

しかし、それを乗り越えると、性別に関する微妙なあれこれを見ることができる。
本音を言えば、よくわからないのだが、少なくとも、フランソワ・オゾン監督がどう考えているかは、そこはかとなく伝わってくる。

これはおそらく、監督が、世間に対して、ゲイというものを少し認めさせるために作ったと見てもいいような気がする。作品では、ゲイの主人公が、お決まりの交通事故で意識を無くし、目覚めるために女装(というか。彼を女として呼ぶ声)が必要だったという流れをつくって、コントロールしている。

そうまでされては、彼の内なる女性性を、否定するわけにもいかないだろう。否定はすなわち、彼に死ねと言うのに等しいのだから。

かなりあざといやり方だが、ともあれ、エピローグで女装の彼が自然に画面の中に存在できるように仕組んで、世間の偏見を、自身もゲイであるとカミングアウトしている監督が、一歩押し込んだ格好になった。

まあ、そういう作品ということで。

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2015.08.20

雑記150820


「困難な成熟」予告編

責任というのは、誰にも取ることのできないものです。にもかかわらず、責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものです。というのは、「責任を引き受けます」と宣言する人間が多ければ多いほど、「誰かが責任を引き受けなければならないようなこと」の出現確率は逓減してゆくからです。
確かに、自分のこととして感じる人が多ければ、まずいことになる事態は未然に回避される、というのはそのとおりだわ。

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2015.08.16

星をつくった

手持ちのキーがいつのまにか20個くらいになっているポータルがあったので、やってみた。
28本の星。

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[追記]
この件、続きがあって。

星を作ったのは明け方なのだけど、
しばらくすると、なんとLVL16の人が、RPS二個入れてくれていて。
自分では、AXAとVRPSを入れていたので、防御力半端ない。
これはたぶん、ADA食らうだろうなあと思ったが、それもまたよし。

午後おそくに見てみると、確かにADAを食らったようなのだが、どうもこれが青AGではなく、味方のはずの緑AGの仕業らしい。なんだかなー。

一応、記録として残しておく。

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2015.08.15

「日本の一番長い日」

テロリストというのは、日本にも昔からいたのだろう。
ただ、戦争中は、よりterrorな存在である軍隊が活性化していた陰で、見えなかっただけだ。

軍隊の中にも、まともな人間はたくさんいて、反乱軍(今で言うならテロリスト)の暴走を食い止める。そういうお話。実話かどうかは知らない。

視野の狭い人間に力を持たせると、よろしくないことになるという、見本のような事件。

戦争がらみでは、日本は上手に負けるということができない、という話をときどき聞くけれど、ぎりぎり踏みとどまってくれて助かった。

「ヒトラー 〜最期の12日間〜」と比較すると、いろいろ思いがよぎる。

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「ノスフェラトゥ」

「ヘルツォーク傑作選2015」というのをUPLINKでやっていた。そのうちの1本。吸血鬼もの。1979年というから、35年前の作品。

とてもゆっくりした流れだが、きちんと骨組はできていて、慣れると、ちゃんとした映画に見える。この流れの中で、ホラーもエロスも場所を得ている感じ。

いまどきの陰りのない超人ヴァンパイアさんたちは、興醒めだが、
ここで見られるのは、陰惨で臆病で弱点もある、しかし破滅的な力を持った不死の存在。

吸血鬼の本来のイメージは、こんな感じでいいかな。

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2015.08.14

「雪の轍」

長くてしんどい会話劇。

現代の都市で複雑な生き方を当然のように受け入れていると、この程度の諍いは、昼のワイドショーで見慣れている気もする。実際にはTVを見ないのでわからないが。

「深淵」という評が付いているけれど、それほど深いとも思えない。主人公は資産家の跡取り。実務能力のない夢想家。妻は世間知らずの慈善屋。庶民が笑いものにする、絵に描いたようなひとつの典型だろう。

もっとも、東京とは違う、世界のどこかでは、そうでもないのかもしれない。
よくわからない、というのが本音のところだ。

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2015.08.13

「バケモノの子」

これは良作。

設定やキャラクタはありがちなのだが、師匠と弟子の関係性が、ちょっと目新しい。
天才は天才を知るというが、この弟子が、はじめから師匠に負けていない。

二人の共通点が絆の基本にあって、その共通点が他の主要キャラにも共有されている。シンプルで筋がいい感じ。

脇役たちもそれぞれの役回りにぴったりはまって、全体にバランスがいい。

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2015.08.12

「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」

よくできたスパイアクション映画。シリーズの中でも緊張感は最高といってもいい出来。

スパイの派手なアクションがリアルなわけはないのだが、妙にリアリティを感じさせるのは、やはりCGではなくスタントを使っているからだろうか。

演出のうまさもあるだろう。たとえば、BMWが後ろ向きに激走した挙句にひっくり返って身動きできないところへ、敵のエージェントが迫ってくる場面。見ている方は、別働隊の四駆が援けにくるお約束だとわかっている。

しかし普通に接近してきたのでは、エンジン音ですぐわかるところが、突然画面の中に飛び込んできて、敵エージェントを撥ね飛ばす。もちろん実際には、ずっと遠くから気づかれるから、これは有り得ない。そこを、上手に嘘をつくのが、演出というものだ。

この作品は、そういう嘘のつき方がうまい。また、それによって快適なテンポを作り出してもいる。
適切な省略から生まれ得るリアリティという感じ。


それはそうと、この登場人物達は、ちょっとルパン三世を思い起こさせる。固い友情で結ばれた数少ない仲間。冷徹な敵とその右腕たる謎の女。主人公の好敵手。

次回作をつくるなら、この登場人物で続けていってほしい。
このメンバーで、新しいシリーズとして始まってもおかしくない。

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2015.08.09

「ジュラシックワールド」

かなり家族連れやカップルを意識したつくりになっている。特にヒロインの彼女のムンムンする存在感が強すぎて、恐竜たちはマスコットか背景画になってしまったしまった。作り手側のマーケティング意図がティラノサウルスの息のように生臭い。

クライマックスで彼女がオリジナルのティラノを誘い出すシーンを見れば、この作品がどちらに力点を置いているか、はっきりわかる。

まあそれでも、恐竜のCG映像はそれなりによかったから、それを見る映画と思えば、それでいいわけだ。

本当はもっと原初の恐怖を呼び覚ます映像と、それに翻弄されながらサバイバルする人間を見たかったのだが、そんな観客はお呼びでないらしい。スピルバーグが呉れたのは、最後に付け足しのように言わせた台詞だけ。

言葉以外のもので表現するのが良質な映画だと思っていたのだが、スピルバーグはそうは思わないのだろうか。

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2015.08.01

「進撃の巨人 実写版前編」

原作は2巻くらいまでしか読んでない。巨人がいる閉塞した世界で、限界を打破しようともがく若者群像、という設定が面白いなというくらいの印象。

その巨人の映像が、凄かった。
ゴジラを凌ぐ、と言っても過言ではない。
この監督はこういうのがうまい。

が、残念なことに、脚本、演出、役者の演技が、その凄さに追いついていない。
なので、凄いところと、ダメなところが混在して、見ているとストレスがある。

「のぼうの城」のときは、原作の物語の力や役者の技量と、特撮とがいい塩梅に組み合わさっていた。それに比べて本作は、技術的に少し未完でアンバランスな感じがある。

このれはおそらく、様式がないためだ。
凄い巨人の描写に見合う、枠組み・様式があれば、描写力はもっと生きる。

様式の不在は、エンドロールの音楽にもよく表れていた。作品のごたまぜ感が、そこに端的に出ていたように感じられる。

一方で、このアンバランスは、巨人がいる世界の浮世離れした感じを、うまく浮き彫りにしたと見ることもできる。なかなか感想をまとめるのが難しい。新しさを孕んだ作品は、そういうものなのだろう。

後編は、上映後の予告を見る限りでは、陳腐な人間ドラマになりそうで、少し心配だ。

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「ミニオンズ」

東宝シネマズでほぼ毎週なにかしら映画を見ているのだが、劇場での広告にずいぶん力をいれている印象があったので、どんな作品なのか見てみた。

どうということもない娯楽映画で、それなりに楽しめる。英国人と王室をおちょくっているのが、まあ味なのかな。

米国では、「怪盗グルー」の方が本編で、ミニオンズはスピンオフなのだそうだ。そういわれるとなるほど、ミニオンズが主役というのは、確かにちょっと訴える力が弱いか。2010、2013年の作品だそうだ。

本作の最後に、子ども時代の怪盗グルーが、1分かそこらの時間、登場する。そのわずかなシーンだけで、このキャラクタに興味がわいた。

子供のくせに妙に大人びていて、科学万能の輝かしい未来を信じている時代の先端で、その力を誰よりも引き出しながら、科学が及ばないものを見ている、というか。日本にもドラえもんという傑作キャラクタがあるけれど、あれをスノッブな皮肉屋にした感じ。

どちらかというと、こっちを観たい。大人になったグルーよりも、子どもの方のを。

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