« 「エイプリルフールズ」 | Main | 「マジック・イン・ムーンライト」 »

2015.04.11

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

かつての名声を取り戻すべく奮闘する男の、ぎりぎりの行動を描く。
有名であろうとする強迫観念への風刺に溢れている。ようにも見える。

自分で納得できるアウトプットと、世間が持ち上げるそれとが、必ずしも一致しないとき、人はどうすればよいのか。
前者が「良い演技」「優れた役者」「批評家の賛辞」であり、後者は「有名度」「ツイッターのフォロワー数」「興行収入」だ。

大衆的な口コミがネットのおかげで強い影響力を持つようになって、この両者のバランスは昔と違うものになった。

批評家は、歴史が層を成しているようなバーの一角で、無知な大衆映画の役者あがりを蔑んでいる。
役者の妻は、夫の(つまらない)名声と自分への愛との不一致を言っている。
一方、役者の娘は、ツイッターで有名人になっている父を、純粋に誇りに思っている。

ほぼ全編で、台詞のスピードが早いうえに、カメラの長回しが多く、観ながら咀嚼するのに頭を使う。隠喩的であり、微かなので、意味を読みとりにくい。一方、後半で訪れる空想の世界の映像は、派手だがわかりやすい。記号的なのだ。前者と後者は、鮮明な対比を成している。

空想の方が現実より飲み込みやすいというのは意外だが、観る自分の側の問題であり、大衆向け空想娯楽作品の幼稚さの問題でもある。バードマンはその象徴だろうか。


演劇界の批評家は、幼稚さゆえに映画は嫌いだと言い切るのだが、それに対して、主人公はある種の開き直りともとれる状態に陥る。幼稚とされたバードマンに戻って名声を復活させる方法もあるだろう。だが彼はもう一段高いものを強迫的に求める。その結果が、終幕の、予想外の、たぶん無自覚な行動だ。

観客は、あまりのことに声もなく、やがておずおずと拍手を。そして万雷の拍手。


孤高の批評家は結局、これを無視できず、「無知」ではあるものの「奇跡」であるという評を、批評紙の一面に載せることになる。高みを求めるなら極限の行動を起こさなければならないことを指して、「スーパーリアリズム」と呼んだのだろう。記号的に演じるだけではだめだと。その前のプレビューで、舞台の上のベッドシーンで勃起した役者を大きく取り上げたのを考え合わせると、リアル感重視で評価軸は一貫している。


映画や演劇の世界の内幕はよくわからないが、注目され続けることが極めて重要である世界の歪と、それを乗り越えた男の行動力とを、見ることができる一本。


でも、あれってひとつ間違うと、単なるセンセーションだよなあ。
少なくとも再現は不可能だ。だから「奇跡」なのか。納得。

Pic02_3

|

« 「エイプリルフールズ」 | Main | 「マジック・イン・ムーンライト」 »

映画・テレビ」カテゴリの記事