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2015.04.29

「mommy」

母子家庭。母は学歴も資格もなし。男の子は手の付けられないハイティーン。そして・・ADHD。特段の才能なし。この辛すぎる状況が折り重なった設定の下で、母の大きすぎる愛情と、現実の壁、限界を描き出している。観ていて痛い。


親には、ふたつの役割がある。ひとつは、生計を立てること。もうひとつは、子どもの養育だ。
ふた親が揃っていれば、この二つを、役割分担することができる。ローテーションを組むことも可能だろう。

では、ひとり親だったら?
それも、男性優位が残っている多くの社会で、生計を立てるには不利、かつ、子への愛情は強い、母ひとりだったら。

それでも、子どもが手が掛からなければ、どうにかなるかもしれない。
では、子が発達障害、それも、目を離せば何をしでかすかわからない注意欠陥・多動性障害だったら?

それでも、兄弟姉妹が互いに面倒を見られれば・・
では、一人っ子だったら?


分解して列挙して見ると、このプロットが、いかに意図的に練られているか、わかるだろう。作り手は、登場人物の逃げ場を塞いでいるのだ。

そうしておいて、架空のカナダで実施された、S-14法案-養育を放棄し、施設に入院させる権利を保障する-を、これ見よがしの出口に見せている。

あざとい。
まあ、若い監督だから、手口が過激に先鋭化するのは仕方がないのだろうか。


それほどまでして、この25歳の気鋭の監督は、何を描こうとしたのだろう。

母の無償の愛
子の自由への希求
世間の理不尽、隣人の支援

どれも、さんざん描かれてきたことではある。監督の実体験に根差しているそうだから、そういうことにしておこうか。

世の映画評を見ると、この作品を、ユーモラスな、とか、希望の、とか、どうにかして明るく希望があるように見せようと、苦心しているように見える。

でも、どう見ても、ここに描かれているのは、ひとつの絶望と挫折だ。いったんは。

最後のシーンは、希望のように見せているけれど、残念ながら、その窓は簡単には壊れない。
そして、窓の外には、窓以上に固く見えない、他人の都合という壁がある。


そうか、愛はまだ捨てていないね。

合掌。

Pic01


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