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2015.03.29

「カフェ・ド・フロール」

ふたつの、一見何の関連もなさそうなお話が、スクリーンの上で交互に語られていく。個々のお話は、よくありがちなもので、それだけ取り出して膨らませれば、並みの映画が二本できる。しかしこの映画は、その二つを、あるやり方で繋ぎ合わせる。それによって、強い感情の起伏を、観る者に呼び起こす。
ロマンチストでスピリチュアル系に抵抗がなければ楽しめる、そういう種類の作品。以下ネタバレ。

ダウン症の子どもと母の、つましく頑なな、しかし愛情あふれる日々のお話と、離婚して新しいガールフレンドを見つけ、有頂天な男とその周囲をめぐるお話と、その二つに一体どういう関わりを見出せばいいのか、初めのうちは、あまりの落差に戸惑う。そういう当惑が、30分くらい続くだろうか。

ところが、ある短いシーンによって、一気に二つのお話が結びつき、作品の目指すものが腑に落ちて、あるべき結末へ向けてどう導かれていくのか、俄然興味が湧いてくる。そのシーンは、2つのお話のカットを連ねて作られているのだが、ダウン症の子どもの世界で起きた出来事が、とりわけ印象に残る。ここの出来があまりにもよいので、日ごろは捻くれ者の私でさえ、「運命的」という言葉を、少なくともこの映画を見ている間は信じてみようか、という気になる。

(そうしないと、見ちゃいられない映画になってしまうので、それは避けたいという無意識もある。)

これが、第一のヤマ。


ここからは、2つの相容れない結末を意識しながら、どちらに話が落ち着くのか、はらはらしながら展開についていくことになる。観客は作り手の術中にはまる。

そうして訪れるのが、第二のヤマ。ここで、スピリチュアル要素が明確に投入される。第一のヤマで、ダウン症の子供たちの強く素直な魂に触れている観客は、第二のヤマも越えることができるだろう。ここで興醒めになるタイプの人は、そもそもこの作品を見ようとは思わないだろうから。

この第二のヤマが、クライマックス。続いて訪れる結末に確かな説得力をもたらし、作品を引き締めて終わらせている。

強すぎる母の愛というと、「アザーズ」をふと思い出したりするけれど、空しくなった後も木霊のようにこの世に残るという点でも、少し似ている。この作品の微かに切ない感じは、そういうことでもあるのかもしれない。


今年は幸いなことに、駄作というものに出会う方が難しいけれど、その中でも、この作り手の手腕は一歩抜け出している感じ。加えて、ヴァネッサ・パラディがとってもよい。頑なな愛に満たされていて、世の名と闘っている母親を、そのまんま演じている。それこそが、この映画の結末を引き立てる重要な要素なのだ。彼女のおかげで、作品に深みが出たことは間違いない。

恵比寿ガーデンシネマ、再開の杮落しにふさわしい一本。

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