「アメリカン・スナイパー」
戦争について様々な意見を呼びそうな映画。アカデミー賞に選ばれなかったのは、中東情勢への配慮であるとか、単に駄作だからであるとか、意見も分かれているらしい。私的には、覇権国家の辛さが伝わってくるような感じがあった。
監督のスタンスは、自分の主張は入れずに、そのとき米国人が感じていそうなことを描くこと、だそうだが、その点で、これは立派なイーストウッドの作品だと言えそう。
なのだが、個別のシーンを見ると、違和感がいくつかある。
主人公のチームが標的とするテロリストは、ドリルで人の手を切断するという設定だ。その恐怖で、米軍に情報を渡さないように住民を脅すのだ。実際にその残虐な行為が描かれる場面があるのだが、テロリスト役が若いイケメンで、あまり苦労していなさそうな顔なのだ。
どうも滑稽に見えてしまう。あれでは住民への脅しにならない。気がする。
あるいは、主人公が一時帰国して、家で寛ぐ場面では、生まれて間もない赤ん坊を、妻から受け取って抱き上げるシーンがあるのだが、この赤ん坊が明らかに、人形なのだ。
このクラスの作品で、ハリウッドがいつも見せる撮影・編集技術を考えれば、赤ん坊を本物に見せるなど、そう難しくはないはずなのに、誰にでもわかるような杜撰さで、人形であることがばれている。
ひょっとして、わざとやっているのだろうか。
故意だとすれば意図があるだろう。
テロリストのイメージに似合わない育ちの良さそうな若者像。
平穏な暮らしの象徴である赤ん坊が、実は偽りの人形。
イーストウッドの辛辣な目線を感じるのだが、考え過ぎだろうか。
愛国心とか家族愛とかを、戦争遂行の目的に利用して人情劇に仕立て、それを見て感動などしている観客を、冷笑しているかのようだ。現実はもっと複雑に入り組んでいて、簡単には解きほぐせないと。
などと不用意に書きなぐってしまうくらい、不自然なシーンがある、ということだけ書き留めておきたい。
同じイーストウッドなら、グラン・トリノの方がはるかにわかりやすい。
それでも最後は、主人公クリス・カイルの実際の葬儀で、沿道に出て見送る群衆を謹厳に描いて締める。観客を突き放す部分と、心を掴む部分のバランスは悪くない。