« 「西遊記 はじまりのはじまり」 | Main | 「ホビット 決戦のゆくえ」 »

2014.12.14

「ゴーン・ガール」

予告編を見ただけで、これほど悲惨な地獄の結末を予想できただろうか。という意味において、予告に騙されたという評が出るのは当然だ。こんな結末とわかっていたら見なかったという。以下ネタバレ。

ツイッターでこういうつぶやきを見かけた。

日本社会は米国社会よりも安定志向で、「より安定した姿、あるべき姿」にこだわってる部分、昔も今も結構あると思います。でも、その安定しているあるべき姿を手に入れるのが現実にはだんだん難しくなってて、それがかえって若い人の不安感を煽っているのではと感じてます。

この映画を見ると、その不安は決して、日本だけのものではないと思えてくる。ことの成り行きの根っこの部分に、主人公夫婦の失職と経済的な行き詰まり、いまより物質的な生活レベルが落ちる未来への不安がある。

始めの方で、妻の昔のヒット小説が軽く紹介されていくシーンがある。この小説の主人公は、完璧な少女として描かれている。そんな人間はいないとわかっていても、ひとつの理想として読者は受け止める。

妻はそのような理想の人間を演じ続けようとする信念のようなものに染まっている。自分が演じるだけでなく、身近な人間にも歩調を合わせるよう求めていく。

普通は、理想像を形で演じる努力をすることで、中身を理想に近づけていこうとするものだが、この妻の恐ろしい点は、中身はそのままで表面だけ完璧を繕おうとするところ、そしてそのことに自覚的であることだ。こんなギャップに普通の人間は耐えられない。

ついには、演じることだけが残り、中身は完全に置き去りになる。表面と中身とのギャップを、強い力で封じ込めていく。表面が綺麗に整えば整うほど、まるでバランスを取るかのように、内面の修羅は深まっていく。見ている方は、おぞましさに背筋が寒くなる。

そうなったのは、必ずしも意図した結果ではなく、成り行きに過ぎないことが、おぞましさに拍車を掛ける。一体この女は、何が嬉しくてそんな風な生き方を推し進められるのだろう。普通はどこかで破綻するはずだ。

ところが、ハーバード出の切れ者である妻は、破綻の種を巧妙に隠蔽して、世間の求める理想の物語を、ついに演じおおせるのだ。知らなければ、この理想の物語に拍手喝采だが、知らされてしまう観客は、この恐ろしさに目を背けたくなる。夫がまさにその立場。

こういう話は、夏の怪談扱いにするのがよいと思うのだが、クリスマス前の目出度い空気に、思いきりどす黒いものをぶちまけてくれました。その意味で興味深い、特筆すべき一本。

※世界では10月公開で、日本は2か月遅れの公開の由。

Pic01

でもまあ、妻は、男性に対する愛よりも恐怖心の方が強かったのかもね。だから、常に相手をコントロールすることで安心を得ようとするのかも。夫の不実が、その芽を育ててしまった。

ある時期まで、確かにあったはずの理想だった少女は、行ってしまい、二度と戻ることはない。"GONE GIRL" 内容にぴたりとはまるタイトル。

なんだか哀しいです。

|

« 「西遊記 はじまりのはじまり」 | Main | 「ホビット 決戦のゆくえ」 »

映画・テレビ」カテゴリの記事