「フューリー」
第二次大戦の一場面を描いた作品。戦争というものの悲惨さが”理知的に”伝わってくる。理知的にというのは他作品との比較だが、「プライベート・ライアン」の冒頭30分などは、理性が受け付けない。それに比べて、本作はとても理性的に見ることができそう。
映画が理知的かそうでないかは置くとして、戦争の現実はもっと酷いのだろう。それを体験した人が、国内にはほぼ居なくなった今、戦争を美化したり、英雄的行為を感動的に描いたり、果ては戦争への意志を家族愛にすり替えたりする下衆な作品と合わせて、本作のようなものを定期的に見ておくのは、よいことだ。
内容的には、自動車免許の更新時に見せられる、交通事故の悲惨な映像みたいなものと受け止めておこうか。実際、そういう風にも見えなくもない。教習ビデオよりは、戦車戦とか迫力あったということは、一応触れておきますけどね。
ブラッド・ピット、シャイア・ラブーフ、ローガン・ラーマン、3人のイケメン演技派ラインが、どうしても華やかな感じを与えてしまうのは、客寄せ商売だからまあ仕方がないか。
公式サイトのプロダクション・ノートに、シャイア・ラブーフが話を聞きに行った退役軍人のことが出ている。彼はこう言っているという。
殺しは殺しでも“killing”と“murder”との二種類があり、その間には大きな違いがある現実は、右の頬を打たれたら左の頬も差し出すようにはいかない。* * *
生き方は聖書に則っているが、それでも敵なら殺す。まあ神が特定の魂を刈り取る死神たちをこの世に産み落としたということなんだろうな。
折り合いを付けるというのは、こういうことを言うのだろう。