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December 2014

2014.12.31

「海月姫」

「大山のぶ代」で笑った。でも劇場内で笑う人はいなかった。orz
腐女子という言葉は聞いたことがあるけど、ああいう実態なのだろうか? おそろしい。

台詞がひどく変で、違和感がある。原作漫画の世界ではいいのだろうけど、映画にするとやっぱり変。そのあたりで、少しノリが悪くなった。

ま、能年玲奈は可愛かったので、一応許します。

テレビを見ないので、久しぶりということもあってひとしお。眉の顰め方が特によいけど、あれは、赤ん坊がむずがって泣きだす直前に見せるのとよく似ている。つい、気が惹かれるわけだ。
それから、黒目の大きさ。ひょっとして彼女は、これを操作できるのだろうかと疑いを持つくらい見事。
口調のたどたどしさは、役柄にしても、いらつく。もうちょっと普通にしゃべってもらいたい。

お話の方は、特にこれといってない。適度にいろいろ誇張があって、現実離れした可笑しさが少しある。というくらい。

まあ、ファンなら観に行ってもいいのではないでしょうか。個人的には、NHKの朝ドラでブレイクする以前からの、映画女優能年玲奈に惹かれているので、本音を言うと、もっと味のあるストーリーの中で、存在感のある役をやってほしい。「カラスの親指」みたいな。

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「フューリー」

第二次大戦の一場面を描いた作品。戦争というものの悲惨さが”理知的に”伝わってくる。理知的にというのは他作品との比較だが、「プライベート・ライアン」の冒頭30分などは、理性が受け付けない。それに比べて、本作はとても理性的に見ることができそう。

映画が理知的かそうでないかは置くとして、戦争の現実はもっと酷いのだろう。それを体験した人が、国内にはほぼ居なくなった今、戦争を美化したり、英雄的行為を感動的に描いたり、果ては戦争への意志を家族愛にすり替えたりする下衆な作品と合わせて、本作のようなものを定期的に見ておくのは、よいことだ。

内容的には、自動車免許の更新時に見せられる、交通事故の悲惨な映像みたいなものと受け止めておこうか。実際、そういう風にも見えなくもない。教習ビデオよりは、戦車戦とか迫力あったということは、一応触れておきますけどね。

ブラッド・ピット、シャイア・ラブーフ、ローガン・ラーマン、3人のイケメン演技派ラインが、どうしても華やかな感じを与えてしまうのは、客寄せ商売だからまあ仕方がないか。

公式サイトのプロダクション・ノートに、シャイア・ラブーフが話を聞きに行った退役軍人のことが出ている。彼はこう言っているという。

殺しは殺しでも“killing”と“murder”との二種類があり、その間には大きな違いがある

 * * *

生き方は聖書に則っているが、それでも敵なら殺す。まあ神が特定の魂を刈り取る死神たちをこの世に産み落としたということなんだろうな。

現実は、右の頬を打たれたら左の頬も差し出すようにはいかない。

折り合いを付けるというのは、こういうことを言うのだろう。

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「寄生獣」

漫画の原作をまた読みたくなった。

異形の生命体による侵略を扱ったSFはいろいろありそうだけれど、たいてい、相手側の思考までは立ち入らず、人間側から見た、相手の弱点探しと攻防を描くのが多い。

この寄生獣は、その点、ずいぶん相手側に踏み込んでいる印象がある。たぶん、正しく言えば、寄生獣という設定を借りて、多様な人間の中の異なる考え方をぶつけているのだろう。そこから生まれる化学反応が、Sence of wonder ということになる。

血だらけの肉塊なども出てくるので、そういうのが嫌いな方は避けた方が無難かも。

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「みんなのアムステルダム国立美術館へ」

アムステルダム国立美術館を検索すると、日本語のサイトが出てきて、たいへん親切。その写真のすぐ下に、「入館チケットをオンラインで購入」とかの押しやすそうなボタンがさりげなく置いてあって、amazonで癖になっているので、ついポチりそうになる。

おいちょっとまて。チケットは気楽に買えるけど、いつどうやって地球の反対側までいくんだ? という罠。(笑)

それはさておき。
この映画は、オランダの至宝とも言える数々の美術品を収めた国立美術館が、大規模な改修の案を巡って、市民との対立を招き、10年もの長きにわたって閉館を余儀なくされるものの、紆余曲折を経て生まれ変わる、そのお話を取り上げたドキュメンタリー。

日本でも、神宮外苑に新国立競技場を建てようという話があって、揉めているそうだけれど、共通する事柄、異なる事情、それぞれあって興味深い。オランダという国の人たちの議論好きな様子なども伝わってきて、面白い。

館長(途中交代含め2人)、建築家、内装会社、市民団体代表、行政、いろいろな人たちが入り乱れて、泣き笑いのある、案外人間味のある作品になっている。

彼らは、辛抱強く、しかし核になる主張においては妥協せず、議論を重ね、時にはいろいろずるい手も(お互いに)使いつつ、ついには、ほぼ誰もが納得できる妥協点を見出していく。とうとう完成まで漕ぎつけたときの、彼らの晴れがましい顔を、観ている方も嬉しくなる。

翻って、東京のど真ん中に建てるという、新国立競技場だが、行政の隠蔽体質やら、案を審査した建築家が終始、説明責任から逃げ回っている様やら、市民の方も言うだけで具体的な手段を組織して行使しないことや、いろいろ比較してみると、残念な点が多い。事情や規模が違うということはあるにしても、彼我の民主主義の理念と制度、いずれにおいても、大きな差があるのは感じざるを得ない。
東京の住人としては、7年後に、この映画に映った人たちのような晴れがましい顔を見せたいものだが・・

まあ、前向きにとらえれば、それだけこの映画は、地球のこちら側で、見る価値があるということだ。
90分程度と、そう長い作品では無いので、年末年始にお暇な方にはお薦め。

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昨年の年末年始は「フォスター卿の建築術」があったけど、この時期に建築を取り上げるのがパターンになったのかな?

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2014.12.28

「天国は、本当にある」

日本語タイトルを見て、宣伝文句を読むと、これはパチモンかと思うのが人情というもの。しかし、観てみるとこれが相当いい。以下ネタバレ。


アメリカのど田舎のおおらかな暮らしの中で、神の存在を素直に信じながら暮らす、普通の人々の日常風景が描かれ、それだけで結構癒される。

主人公の牧師の男が、保守的な土地柄にも拘わらず、なかなかキュートでスマート。奥さんと小さい子供たちも絵に描いたような可愛らしさで、幸せいっぱい家族。

お金を除けば、何不自由ない生活に、降ってわいたような子供の病気。思いのほか大病で、手術の末になんとか生還する。それからというもの、この子が、自分の手術の間に幽体離脱して見てきたという天国の様子を、折に触れて口にする。それが、子供が知るはずのない下界の事実を含んでいたりするものだから、両親はおおいに困惑。

牧師、という職業にとって、これは扱いに困るシロモノだ。神はいる、などと説教しても、もちろん見たことはないわけで、それが単なる事実として存在してしまったら、信仰もへちまもない。

礼拝に訪れる信者にも、この迷いが伝染する。教会関係者は、天国を見た男の子のエピソードが、マスコミに利用され、信仰を見せびらかす風潮が広まるのを恐れ、牧師を解任しようとする。牧師ピンチ。

紆余曲折の迷いを経て、マスコミと満員の礼拝者が集まった、ある決定的な週末、彼はついに迷いを吹っ切って、決然と、確信に満ちて、説教をする。この説教が、ちょっと感動もの。ここまでもってくるエピソードの配列もいい。

感動が最高潮に達したところで、最後に神様からちょっとだけ、わかる人にだけわかる贈り物。ゲーム機でも人形でもないけれど、最高に尊いもの。

商業クリスマスの浮かれた不浄な(笑)空気のあとで、こういう映画を見て、心が洗われます。"open mind" の意味が深くわかる。

仕事関係など、悩みや葛藤多き人に、ぜひお薦めしたい一本。

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2014.12.22

「毛皮のヴィーナス」

マゾの語源になっているマゾッホさんの小説をネタに作られた戯曲の映画化、という成り立ちの作品。監督も80歳にもなると、こういう映画もつくるのかー。渡辺純一みたいだわ。そういう方面にうといので、感想も書きづらい。想像で迂闊なことを書くとアブナイい人認定だし。

演劇的で濃密な空間で、数人の登場人物が、言葉を交わしながら劇は進行する。こういう形式はわりと好み。「スルース」など思い出す。あちらは、男二人のつばぜり合いだったが、本作は、男と女の闘い。

男の方は、繊細で、建前ベースで見栄っ張り、つまり普通の男。やや芸術臭を漂わせて、それがプライドになっている脚色家。
女の方は、厚かましく、本音ベースで変幻自在、つまりこれも普通の女。高貴と下賤を巧みに切り替えて使いこなす曲者役者。

この二人が、攻守を、あるいは立ち位置を変え、台本に書かれた世界と、現実のがらんとした劇場と、二つの世界を行ったり来たりしながら、官能的で玄妙なやりとりを紡いでいく。

男の方は、自分が書いた作品を声に出して読んでいくうちに、次第にその作品世界に取り込まれていってしまう。声を出して読むよう男に対して強要するのは女の方だが、こちらはその効果を十分知ったうえで男を罠に嵌め込んでいく。女の方が一枚上手。

ちなみに、書かれた世界と現実世界を織り交ぜる手法は、「危険なプロット」で堪能したが、本作はあれほど混濁はしていない。役者のオーディションという形式を通して、現実感はしっかりある。

描かれるのは、Mの態様と見せて、実はその対極のSの相互依存性。MはMだけで成り立たないのだ。言われるまで気づかなかった。

それに加えて、芸術に名を借りた女性蔑視を辛辣に告発。ここはかなり現代的。

作品世界への取り込みも、女性蔑視の告発も、いずれも一撃ではなかなか壊れないところを、懐柔と服従要求を繰り返しながら、徐々に籠絡していって、最後に強烈なのをお見舞いする。

繰り返すが、そういう方面に疎いので、ほーそーですのか。と言うしかない。
きっと、心にぐさりと刺さるものを感じる人もいるのだろうか。

観客はなぜか、年配のおっさんが多い。これも謎だが、なんとなくわかる。自虐的なのかな(笑)。※有楽町で見たのだが、Bunkamuraで見た人の話では、そちらは女性が多かったらしい。うーむ。

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2014.12.21

「ベイマックス」

いまさら言うまでもないが、pixar×Disney ははずれが少ない。これもそのうちの一本。またまた、個性的というか特徴的な主役、空気ロボットを生み出してくれました。今回は、ナード賛歌。

ぷよぷよなロボットという発想が面白い。人間と握手したり肌が触れ合う介護ロボットなら、なるほどと頷ける。

それに装甲を付けて戦闘マシーンに仕立てるあたりが厨二ごころをくすぐります。このギャップがよいなー。
ほかのナードたちのへんてこな武装もないす。

んで、ちゃんと活劇に仕立てて、クライマックスはちょっと泣かせる展開。なにげないロボットの、プログラムされた台詞

Are you satisfied?
に、別の意味を持たせる。うまい。

サンフランソーキョーの描写は、なかなかよく東京の感じを捉えている。完全に東京色でもなく、そこはかとない未来感あり。サンフランののほうは、坂と路面電車で表現。西洋人が感じる東京のカオス感がよく出ている。東京の住人としては、それもひとつの見どころ。

なにげなく高品質という、いつもの感触で満足しました。

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2014.12.14

「ホビット 決戦のゆくえ」

三部作最終話。さすがに指輪物語6本目となると、少しマンネリ感がある。とはいえ、それぞれ観客自身が好きなキャラクタが活躍するのを見れば、十分満足できる内容。

私的には、やはりガラドリエルがよい。力ある者というのは、一種の鬼だけど、ケイト・ブランシェットは、それを表現するのがうまい。エルロンドやサルマンも怯む冥王サウロンの出現に、衰弱して横たわっていたはずが、むくりと起き上って、美しく穏やかな貌から一転して、鬼の貌を見せる。痺れます。ほんの短いシーンなんだけど本領発揮。

トーリンの変貌ぶりもよかった。流浪の民を率いる強い意志を持った王子から、王座と宝を手に入れて竜の病に侵され抜け殻のようになった虚ろな王まで、振れ幅が大きい役をきっちり演じていた。

スランドゥイルは冷血漢のような描かれ方をしているけれど、過去に何かあったことをちらりと窺わせるのがにくい。
タウリエルにかけた言葉、"becouse it is true." は短いけれど、密度が濃い。

ほかにも、主な登場人物それぞれが、よく造形されている点が、多くのファンを引き付けるこのシリーズの魅力。

戦いのシーンが少し長目で、ダレた感じがあるのは、やむを得ないか。全キャラクタの決着を最後まで引き延ばして、一気にそれぞれにカタを付けさせると、どうしてもこうなる。

でもまあ、またLotRを見たくなるくらいに、纏められていました。

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「ゴーン・ガール」

予告編を見ただけで、これほど悲惨な地獄の結末を予想できただろうか。という意味において、予告に騙されたという評が出るのは当然だ。こんな結末とわかっていたら見なかったという。以下ネタバレ。

ツイッターでこういうつぶやきを見かけた。

日本社会は米国社会よりも安定志向で、「より安定した姿、あるべき姿」にこだわってる部分、昔も今も結構あると思います。でも、その安定しているあるべき姿を手に入れるのが現実にはだんだん難しくなってて、それがかえって若い人の不安感を煽っているのではと感じてます。

この映画を見ると、その不安は決して、日本だけのものではないと思えてくる。ことの成り行きの根っこの部分に、主人公夫婦の失職と経済的な行き詰まり、いまより物質的な生活レベルが落ちる未来への不安がある。

始めの方で、妻の昔のヒット小説が軽く紹介されていくシーンがある。この小説の主人公は、完璧な少女として描かれている。そんな人間はいないとわかっていても、ひとつの理想として読者は受け止める。

妻はそのような理想の人間を演じ続けようとする信念のようなものに染まっている。自分が演じるだけでなく、身近な人間にも歩調を合わせるよう求めていく。

普通は、理想像を形で演じる努力をすることで、中身を理想に近づけていこうとするものだが、この妻の恐ろしい点は、中身はそのままで表面だけ完璧を繕おうとするところ、そしてそのことに自覚的であることだ。こんなギャップに普通の人間は耐えられない。

ついには、演じることだけが残り、中身は完全に置き去りになる。表面と中身とのギャップを、強い力で封じ込めていく。表面が綺麗に整えば整うほど、まるでバランスを取るかのように、内面の修羅は深まっていく。見ている方は、おぞましさに背筋が寒くなる。

そうなったのは、必ずしも意図した結果ではなく、成り行きに過ぎないことが、おぞましさに拍車を掛ける。一体この女は、何が嬉しくてそんな風な生き方を推し進められるのだろう。普通はどこかで破綻するはずだ。

ところが、ハーバード出の切れ者である妻は、破綻の種を巧妙に隠蔽して、世間の求める理想の物語を、ついに演じおおせるのだ。知らなければ、この理想の物語に拍手喝采だが、知らされてしまう観客は、この恐ろしさに目を背けたくなる。夫がまさにその立場。

こういう話は、夏の怪談扱いにするのがよいと思うのだが、クリスマス前の目出度い空気に、思いきりどす黒いものをぶちまけてくれました。その意味で興味深い、特筆すべき一本。

※世界では10月公開で、日本は2か月遅れの公開の由。

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でもまあ、妻は、男性に対する愛よりも恐怖心の方が強かったのかもね。だから、常に相手をコントロールすることで安心を得ようとするのかも。夫の不実が、その芽を育ててしまった。

ある時期まで、確かにあったはずの理想だった少女は、行ってしまい、二度と戻ることはない。"GONE GIRL" 内容にぴたりとはまるタイトル。

なんだか哀しいです。

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