「紙の月」
原作は未読で、映画だけ観た。
登場人物は、いずれもいかにもな感じで、パターン化されている。何もかもつくりもののようだ。観ている間は、退屈で仕方がない。いかにもありそうなキャラクタと話の展開。案外この、つくりもののようなニセモノ感が、主人公が抱える虚無感をうまく表現していたのかもしれない。
豪遊で使い込む金額の、収入に比べた大きさも、虚無感の大きさの裏返しだ。
加えて、宮沢りえの声。かすれたような、心がどこかを彷徨っているような、そういう声が、全シーンで虚ろに響く。どこかで、腹の底から出る声がありそうなものだが、それは最後までない。
退屈で先も見えたかに思えたところで、結末のちょっとした激発。豪遊で使い込んだといっても、後始末をだれか親戚に頼めそうな程度ではある。ところが彼女はそうしない。どこか常軌を逸している。
突然の大音響と意外な行動。「いっしょに来る?」の台詞は、行動の大胆さと裏腹に、あくまでも虚ろなままだ。行為の熱さと声の空虚さとのギャップが、作品の意図を正しく伝えているように思える。これはアブナイ人のアナーキーなお話なのだ。
一緒に来る?と言われて、ひょっとするとついて行ってしまい兼ねない人はアブナイ。
自分はそうでないと思いたいものなのだが。