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2014.07.26

「GODZILLA」

大活劇の迫力を期待していくと、あてがはずれるが、それ以上に凄いイマジネーションを垣間見れる。一般受けはあまりしないかもしれません。以下ネタバレ。

ホラーの味付けが濃い。日常生活のなかにひょっこりと非日常がグロテスクに顔を出す。はじめは現実味が無くて、夢かうつつかと思っていると、次第にこちらの世界を侵食してきて、ふと気が付くと既に異形の世界に取り込まれている。昨日までの普通はどこに消えた?

そういう展開が、さっくりと私の好みに刺さります。
冷たい異形の世界の人知を超えた闘い。

9千メートルの上空から降下した人間達が、厚い雷雲を抜けた後に目にする光景は、暗く冷えた地の底の、永遠の神々の闘争といった趣だ。この世界の描写が素晴らしい。ゴジラの長い歴史の中で様々なゴジラが登場したが、このくだりのイメージは、唯一絶対の破壊神ゴジラ像として、最右翼なのではないか。
単に凶暴とか熱いとか重いとかを超越した、巨大で不気味な存在。


エンタテイメント要素のほかにも、この映画にはいろいろと現実世界についての暗喩が多い。

GODZILLAが案外早く全身を現すのは、太陽の下では、その存在は夢で構わないからだ。いざ戦いが始まると、とたんにTV中継の映像にスイッチして、この遠い街の大破壊の実感のなさをそれとなく示す。中東の混乱を見る先進諸国の目線を皮肉っていないと言えるだろうか。

GODZILLAと敵対するもう一方の主役MUTOの電磁パルスはもちろん、電子機器に依存した生活と電子戦能力を誇る最強軍隊の脆弱性を暗示しているのは間違いない。よくある手だが。

そのほかにも、原子力発電所、地震、放射能、電力会社と情報隠蔽、津波、奪い去られる日常。挙げればきりがないほどだ。世界の誰よりも、3.11以降の日本人ならすぐにそれとわかる。

芹沢博士が、ゴジラを自然のバランス回復力になぞらえるあたりは、桃太郎電鉄でゴジラを台風と並ぶ自然災害に位置付けてしまう日本人には、実にお馴染だ。西洋人がここを一体どの程度理解できるのだろうか。


世界に向けてハリウッドがリブートしたGODZILLAだが、結果、100%日本人向けのようにも見えるのが不思議というか、作り手はコジラをよく理解しているなあ。

最後に、戦い終わって海に還っていくゴジラさんは、一見超然としているものの、よく寝たしそろそろ帰るか的な微妙に親しみのある描かれ方で、そこはやや不満だが、子供向けを意識してまあやむを得ないか。

気紛れにロッキーに登って降りて北西部の砂漠を突っ切ってホワイトハウスを踏み潰して大西洋に還っていっても、それはそれでゴジラだというべきだが。


夏のブロックバスター映画シーズンの最初に、少しジャブをかませてくれた、良作としたい。

Pic05


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