「オール・ユー・ニード・イズ・キル」
リセットで経験値アップという裏技をお話の中心に据えた、ビデオゲーム世代のストーリー。原作のラノベとハリウッド映画との違いも面白い。以下ネタバレ。
リセットネタはそのまま生かしたものの、ストーリーは原作と随分違う。原作が、孤独と侘び寂びに立脚しているのに対して、映画の方は、恋と仲間とチームワークに立脚している。これが、高齢化まっしぐらの日本と、平均年齢若返りの米国との、文化の違いというやつか。(違)
原作では、最後まで主人公がリセット無双で、輪廻の思想を色濃くアピールするのに対して、映画の方では、一回性を取り戻して、普通のクライマックスに持っていくのも大きな違い。人生はのるか反るかの一回きりという原則は、米国の現実主義の根本だ。ほんとか。(笑)
そして、最大の違いは、戦の女神リタの最期。
原作は・・・リタの犠牲の上に人類が生き延び、直接手を下すケイジは一人その罪を背負って生きていく。これは、太平洋戦争で、知人や戦友を失って自分だけ生き残 ”ってしまった” 人々が、その負い目を感じながら戦後平和を作ってきたという昭和日本人の共同幻想が、脈々と生きている証だろうか。
ハリウッドは、そのセンチメンタリズムに敬意を表してか、ぎりぎりまで、出口の見えない路線で引っ張るものの、最後は、まあ、いかにもな結末にもっていく。どちらがいいとは言い難いけれど、明日への希望という点では、米国製の方がはるかに優る。
そろそろ我々も、ああいった哀愁のようなものから卒業してもいいのじゃないか。
後ろばかり向いていては、どうも先がない気がする。
ハリウッドという語を、侮蔑的に使う文化人気取りの向きは少なくないが、ハリウッド映画が、一見底の浅い前向き路線を百も承知で意識的に堅持することで、無言で教えているものがあるだろう。
映画とは無関係だが、そんな風なことを、つらつら思ったのでした。
そうそう、オメガの弱点はヒューマニティだ、とかいう伏線は、結局どう生かされたのだろう。もしや、最後のリセットは、死にゆくオメガからの贈り物だったとか?
それなら最高のハッピーエンドだな。オメガには気の毒だけど(笑)
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