「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」
Wikipediaを見ると、
「コーエン兄弟監督・脚本・編集による2013年のアメリカ合衆国のコメディ・ドラマ映画である。」となっている。へーそうなの。
公式サイトを見ると、
「カンヌ国際映画祭において大絶賛と共に見事グランプリを受賞しコーエン兄弟の健在ぶりを世界に知らしめた。」となっている。ほーそうですか。
映画を見るとしかし、これはコメディなのか? という疑問がわく。
たしかに劇場の後方の席で、例によってサクラなのか自己顕示中毒者なのかわからない一団が、げらげらと大袈裟にやってみせて会場に笑いを伝播させようと懸命の努力をしたあげく失敗していたようだった。仕事ではよくあることだがお疲れ様です。
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ブラック・ジョークに対応して、ブラック・コメディという言葉があるのかどうかは知らないが、もしこれをコメディと呼ぶなら、そんな辺りだろうか。
キャリー・マリガンといえば、愛らしさと優しさの象徴(自分の中では)だが、映像はソフトフォーカスでくるんでいるものの、台詞の方では凄まじい攻撃的な言葉を連発させる。その映像と口調のギャップが激しい。ひょっとして、そのギャップで笑わせようとしているのだろうか。純朴な田舎青年としては、むしろいたたまれない感じです。(笑)
フォーク・シーンに対する毒を含んだ批判が感じられる。主人公に理解のある教授の奥様や来客をデフォルメして描き、それへの攻撃という形でその悪意を示している。1965年くらいをピークに、「うたごえ喫茶」なるものが日本にもあったそうだが、そういう感じなのだろうか。それを黒歴史と呼ぶ向きもあるようだけど。(笑)
自分の歌はそういう素人くさいものとは違うのだという魂の叫びと、にも拘わらずそういう素人くさい人々の善意で自分の生活がかろうじて支えられているというイタい現実とが、主人公の心をかき乱す。
どうにも行き詰って逃れるように出かけた先のシカゴの劇場で、そこのマネージャが、暖かくも厳しい目で、彼の歌を評して言う。
「たしかに歌はうまい。・・・・ 金の匂いはしないな。」それは、酷評であると同時に、ひょっとすると賛辞でもあったかもしれない。
このシカゴへの道中が、またひどく奇妙な不条理劇だ。ショービジネスに対する風刺がある。やくざなマネージャともったいぶったプロデューサにこづきまわされるミュージシャンの図柄。ショーを成り立たせる主役なのにこの扱いは何だ。とでも言っているようだ。主人公が、はじめはこの道中に参加するつもりがなかったのに、諸般の事情でやむなく乗ったという流れも笑える。それが本物のツアーならまだしも、職探しの道中なのだからなおさらだ。”What are you doing ?”(笑)
かといって、その道をあきらめて単純作業に従事したところで、先は知れている。老人ホームにいる父親が、その表象だ。昔好きだった曲を聞いて、懐かしくてついお漏らししてしまうのが関の山。(笑)
そしてお話は、冒頭のシーンに戻る。
店の支配人らしき男が、「昨日は荒れてたな。」 と何気なく声を掛けるのが再現される。
その一言の裏側に、どれほどのことがあったのか、余人は知らない。それを描くためにこそ、この映画は延々と遠回りして、最初のシーンに戻ってきた。まさにタイトルどおり、主人公の「インサイド」。救いどころのない日々。それでも生きていく日々。
ところで、ずっと不機嫌な様子のジーンことキャリー・マリガンが、一度だけふっと、いい笑顔を見せる。たまりませんな。そういう、ほんの一瞬のために、われわれは灰色の日常を生きているようなものだとでも? 監督はそう言いたげだ。
歌の方は、宣伝に使われている1フレーズこそ印象的だが、本編の中では総じて上手くも下手でもない。
そうそう、キャリー・マリガンも最近の流行りに乗って歌いました!上手くないけど一所懸命歌った!
ほとんど、彼女見たさに行ったような映画だから、それで十分満足だ。
ところで店の支配人は最後にこうも言った。「フォークなんぞ聞きに来ているわけじゃない。ここの店の客の大半は、彼女とやりたくて来てる。わはは。」
コメディだと思ってスクリーンの中の世界を嗤っていたら、いきなりスクリーンを飛び出てこちらに刺さってきやがった。イタイです。(笑)
この支配人の数少ない短い台詞が、実はこの映画をドライブしているのじゃないか。(笑)