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2014.06.28

「渇き。」

過度に露悪的で過度に暴力的。「告白」のような切れも驚きもなく、力押しのドタバタがダラダラ続く。ヤマなし意味なしオチもなし。音と映像と演技は過剰だから、見ている方は単に気分が悪くなるだけ。

いろいろ社会の問題らしきものを詰め込んでみせているようだが、ピンとこない。

とはいうものの、ここ1週間のうちに、タイムリーに池袋で車の暴走事件新宿で女子大生の集団昏倒事件があったばかり。この映画を地でいっているような。

別に今日始まったことでもないって?
わけ知り顔で言う者もいる。

巷の映画評では、この映画は見る人を選ぶそうだ。
この世界観とやらが、ぴったりはまる人も、世の中にはいるらしい。

笑えない。
 
 
 
でも小松菜奈はよかった。


(追記)

それだけだと、映画代が無駄になった気がして癪なので、これをネタに少し考えてみる。

この映画は、規範を全て取り払うと何が起きるか、という実験をしているように見える。

たいていの作品は、あるいは論考でもいいが、何等かの規範を想定して、それとの葛藤を取り上げるのが常道だろう。そこに緊張や弛緩が生まれて、物語になる。

これは、それをなくしてしまえということだから、物語がない、緊張がない、葛藤がない、つまらない、という評は正しかろう。さらに言えば、この作品に世界観という言葉で表される概念を求めるのは、そもそも間違いだ。

エンディングの雪の中のシーンは、取り払ってしまったものを取り戻したいのに、それはもう無い。という状況を描いている。無くしたものをいつまでも探し続ける焦燥と疲労。

そんなところか。


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