「愛と哀しみのボレロ」
いやーいい映画だわ。人の生き死に泣き笑いがあって。背景に、「戦争の世紀」の欧州の重苦しさがあって。
それを少し修正するような、米国の陽気な空気があって。そして全てを通じて、音楽と舞踊がふんだんにあって。
いろいろあったんだよなあ、我々の親以前の世代には。もちろん今の世代だって、いろいろあるわけだが、戦争の世紀には独特の鉄錆と血の味がある。それで人生を狂わされた人々の傷は、おそらく癒えることはなくて、戦争を知らない世代が世の中の中心になるまで、無言の抗議が通奏低音となって続くのだ。
では、子供の世代は幸福かというと、もちろん、普通の人が理不尽に命を奪われることはないとはいえ、替わって別の不幸があるわけだ。
それを指して、カラヤンがモデルだという作中のドイツ人指揮者は、戦争はあったが、それを除けば今よりいい時代だった、といった趣旨のことを言う。
それは、戦争の悲惨を比較的うまく回避した人の言葉として割り引いて考えるにしても、今日的な社会の病理が、戦争の世紀とはまた違った形で、人々を蝕んでいるということではあるだろう。世にトラブルの種は尽きまじ。
登場人物達の中にその結末を具体化するのが、よくある映画の手法だけれど、この作品は、最後にユニセフのチャリティーコンサートをもってきて、個人的な体験を、人類普遍のものに昇華させようと試みているかのようだ。
現代人の目には、少々作られた理想主義に見えるけれど、この映画が公開された時代には、そういう空気が実感としてあったのだろうか。
最後に残った暗黒大陸アフリカでさえ、経済発展の熱を徐々に帯びてきている今日、だんだん忘れ去られていくこうした感覚を、時々思い出すのに好適な一本。
上映時間が3時間と長いけれど、その長さには意味がある。
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