「ダラス・バイヤーズクラブ」
HIV治療薬にまつわる実話。陽性で余命30日と宣告された市井の男が、国内未認可だが効果が期待できる薬を、国境を越えて探し求め、自分の体でその効果を検証して生き延びながら、国内の同じ立場の人たちにも売り捌く。アカデミー賞候補作。以下ネタバレ。
話の筋は筋として、そこに登場する人々の描き方がいい。ゲイというと、一般とは違う感受性を持った特殊な人という見方が多かった。話の本筋に添えるイロモノであって、やられ役、あるいは気づかせ役という位置づけだ。
本作では、彼らを普通の人と見て描いている。そのように見える。
未認可治療薬を頒布する会員制のクラブを、主人公と共同で立ち上げるゲイは、普通の意味で魅力的に見えるし、クラブに入会したゲイたちも、ごく普通に見える。最後のシーンで、裁判に負けて帰ってきた主人公を、クラブのホールで出迎える人々の温かさは、映画作品として一般的なものだ。もちろん、HIV陽性で、死を間近に感じている者の連帯感のようなものはあるだろうけれど。
主人公の行動を、結果的に妨害することになる人達、利益第一の企業関係者、手続き重視で権威主義の当局と、事大主義の医療現場などが、批判的に描かれるのは、お決まりのパターンだが、それに立ち向かう側にゲイを置いたことで、彼らに対して肯定的な空気が生まれている。
米国の最近の空気を映しているのかどうか。
主人公自身は、うろんな生き方を生きている。社会正義の臭いはない。ただ生き延びるための必死の行動が、効果を表すにつれて余裕が生まれ、もともとの商売っ気が出て事業化しただけなのかもしれない。おそらく今までの仕事は続けられず、新しい生業を探す必要もあっただろう。イデオロギーではなく、ただ生活だけがそこにある。それがこの作品のいいところだ。
よくよく見れば、主人公の症状改善は、未認可薬よりむしろ、生活習慣の改善が効いたのではないかと思えたり、彼が立ち上げた薬の頒布会は、藁にもすがる思いの無知な人々を食い物にするインチキ商売かもしれないという疑念もあり得そうだったり、複雑な思いがあるけれど、映画はそれらをうまく抑制して、主人公の真摯な部分を取り出して見せている。
マシュー・マコノヒーは、「ペーパーボーイ」、「MUD」と続いて、社会の下層というか草の根の人間の役がよく合う。お話の舞台も、出身のテキサスを含む南部が多いのは、偶然ではないのだろうか。所謂スター然としたところがない点に好感が持てる。共演のジャレッド・レトがまた・・あやしい魅力。w
二人ともそれぞれ20キロほど減量したそうで、特にマコノヒーのこけた頬が痛々しい力作。今年はまだ2月だが、自分的に本年ベスト10には入りそう。
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Comments
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Posted by: mujeres solteras | 2014.04.09 07:05 PM