「MUD」
アーカンソーはミシシッピ川の支流にある片田舎を舞台に、少年二人のひと夏の経験を通して、女と男の愛のあり方の違いを見せる、小さな傑作。気違いじみた男や変人の役が多かったマシュー・マコノヒーだが、本作で堂々本物の主役になった。すばらしい。以下ネタバレ。
女の愛は社会性を伴う。男の愛は一途だ。そのふたつが、多くはすれ違いながらも、ほんのときおり寄り添って、苦みの海の中に、ほのかな暖かさを生み出す。これはそういう映画。
惚れた女のために見境なく暴力をふるい、それが元で追われる身となった男が、紆余曲折の後に、危険を冒して遠目に女と目を見かわすところまで来て、しかしそれ以上は近づかずに、おずおずと手を振り合い、何かが二人の間に流れるシーン。いや、流れたのではなく、すれ違ったのだろうか。
この微妙さ加減が胸に迫る。男の方は、ただただ女の無事な様子に満足して、そのまま去る。女の方は、戸惑いとうしろめたさを残しながらも、安堵の思いもあっただろう。お尋ね者になってしまった男と、ずっと一緒に逃げ続けることなどできないのは、双方ともわかりきったことなのだから。
そのやるせない感覚が、この映画の胆だ。それを、少年期の男の子の目を通して、あるときは親や大人たちの諍いの中に、あるときは少年自身の初恋と挫折の中に見出す形で、繰り返し見せている。思えば、少年が、年上の初恋の相手に絡む大男を、問答無用で強烈に殴りつける無謀な一途さは、追われる男のそれと瓜二つだ。
冒険と危機があり、裏を知る玄人の助力を得て、行き止まりかと思えた隘路から脱出する。その、小さくはあるけれど開放感のある新しい一歩に、大河ミシシッピ本流のすがすがしさ、大きさがよく似合う。
少年は、自分の中の信念と世間との折り合いどころを学び、放浪者は過去に別れを告げる。
世評がどうかは知らないが、私は傑作と呼びたい。
まあ、あくまで男目線であるという点で、「ドライヴ」と似た結末ではあるけれど、少年期のひと夏の冒険風にすることで、単調さを回避している。
男の子二人の面構え、言動のキレのよさが、とても印象に残る。スタンド・バイ・ミーに例える評もあるのは、そういうところを見てのことだろうか。(実はスタンド・バイ・ミーの方は見ていないのだが)
彼らの気骨に釣り合うように、あるいはそれを上回る、放浪者の自由さ、他人を巻き込む不思議な魅力、そしてうさんくささ。反社会的とレッテルを貼ってしまえばそれまでだが、人のとしての味がよく出ていて、これぞアメリカ映画、という評にもうなづける。そんな生き様を、マシュー・マコノヒーが、余すところなく演じている。
観終わった後、いい映画を観た満足感にひたれる、数少ない作品のひとつ。
« 雑記140118 | Main | 雑記140121 »
Comments