新東京国立競技場「案」について
先週金曜日に、あるシンポジウムを見に行った。本会場は1時間前から超満員で、実況中継をスクリーンに映すモニタ会場もすぐに満席という注目度。マスメディアも多数押しかけたみたい。
んで、関連の記事がこちら。
「20年東京五輪:新国立競技場、100人見直し要望へ 建築家ら「巨大でミスマッチ」」
「新国立競技場案「巨大過ぎる」建築家・槇文彦さんが疑義、幅広い議論を」
さて、審査委員長の安藤忠雄さんは、どういう意見なのだろう。
一応、シンポジウムの聞き書きメモ。
▼まず一巡目
○槇文彦さん(プリッツカー賞建築家)
・設計者や建築家の問題ではなく、それ以前の、プログラム(条件設定)の問題。この面積の必要性について説明がない。図面もパース数枚。
・コンペ参加資格は絞りすぎで差別だが、これについても説明がない。未知の才能を発掘するのも国際コンペのよさなのに。
・設計者ではなく監修者を選んでいる。その一方で、監修者に強い権限を与えている。この仕組みではうまくいかないだろう。
・プロセスが非常に不透明。
・粗雑なコンペ。批判ではないが、懸念している。
○陣内秀信さん(建築史家)
・外苑、内苑、表参道、裏参道が、景観に配慮しつつ一体的に整備されてきた文脈がある。
・神宮をスポーツ拠点とすることは、以前からの了解。(このあたりは私有地)。しかし、前のオリンピックのときも、岸田日出刀らの強い反対があり、施設の一部を駒沢につくるよう変更された経緯もある。
・周辺の地形とあわせた総合的な整備のビジョン。等々
○宮台真司さん(社会学者)
・環境全体を生き物として扱え。(環境倫理学)。
・寿命の短い人間の視点ではなく、寿命の長い環境という生き物の視点で。
・民主主義は参加と包摂である。(多数決じゃないよ)。東京に住んでいることで、何をシェアしているか。オリンピック後にどんな東京をイメージするか。
○大野秀俊さん(建築家・都市計画家)
・せまい車庫に入れたらドアが開かないスーパーカー。
・災害時に避難させる面積が足りない。
・経済の論理だけになっていないか。
・維持管理費の負担はお荷物になるだろう。今でもそれが問題になっている都の施設もある。
・東京の開発は空地を食いつぶしてきた。20世紀の東京は名所をつくってこなかった。次の時代が前の時代とどう対話しているか、その対話の作法があるだろう。
▼二巡目以降
槇: コンペ結果の発表の仕方に情報操作があったのではないか。パース数点しかなく、メディアもそれしか見せられていない。
槇: 建築とは、都市とは、歴史とは、ということに、もう少し関心を持ってもらいたい。真剣に考えてほしい。
宮台: 専門家が、専門性を市民(価値観を持つ)と共有すること。(科学の民主化)。
宮台: 誰も責任をとれないこと(未既定のリスク)に対しては、専門知識を市民がシェアして自分たちで(価値観に従って)決定するしかない。
宮台: 南大沢のときは、市民参加の仕組みを後からとりいれることで、居心地よい場所にすることができた。
陣内: 外国でも、コンペでは最初のプログラムで、対象の歴史的文脈が応募者に提示される。今回、それがなかったのはおかしい。
大野: 東京は、ある程度こうならざるを得ない。日本の都市の特殊性を踏まえて、都市づくりのマナーを考える。
大野: 建築・都市設計者から、スポーツ関係者、その間の人たちに対する働きかけが不十分だったのかもしれない。
陣内: サステナブルでないもので東京をアピールするのはおかしい。
宮台: 子孫がどう見るか。個人のタイムスパンを超えるものについて。
宮台: SPACE(空間)ではなく、PLACE(場所)。最優秀案のような巨大なものの傍らを歩く人の、何がアメニティか。
陣内: 芦原義信「街並みの美学」は、政財界向けに平易に書かれた本だが、そこから全く変わっていない。
▼会場からの質問等
・この後、どう行動するのか。
・失われた20年に育った若者としては、この案に期待もある。
・避難の安全性というが、しっかり作られた建造物であれば、その中にいる方が安全ではないか。
・情報が不透明なのが問題。透明にしていく戦略を持たなければ。
など
槇: メディアの責任が大きい。個々の問いかけでは力にならないが、メディアが取り上げれば影響は大きいはず。
宮台: よいバラックには同一性がある(フラクタルのスケール)。東京のバラックと、今計画のでたらめには大きな違いがある。
▼最後に
槇: メディアの人には大いに期待している。同じ人に繰り返しインタビューするのではなく、いろいろな人に、どう思うかインタビューしてほしい。(拍手)
大野: 今日の要約をつくって報道機関に流す予定。要望書を実施機関に渡したい。
u-Streamはこちら。
「シンポジウム 新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」
【追記】
会場前で並んでいたとき、すぐ後ろに建築家協会(JIA)の幹部会員らしき人とそのご友人風の一団がいて、興味深いことを話していた。当初、JIA現会長に、この件を取り上げるよう話があったが、有力会員の中に、このコンペに深くかかわっている人がいるなど事情もあり、会長はJIAとして批判の声をあげることには消極的だったとか。それで、このシンポジウムは有志による発起という形になった由。
真偽の程は知りません。
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