「クロニクル」
若者グループが、ひょんなことからある能力を手に入れて・・という、ありがちなお話。カメラの使い方、というか視点の置き方を、その能力と関連させているところが少し面白い。以下ネタバレ。
この映画は、もちろん、超能力ものとして十分楽しめる。
前半から半ば過ぎまでは、その力のいろいろ無駄な、あるいはファンタジックな使い方で、観客を楽しませてくれる。いたずらしてみたり、空を飛んでみたり。それ、自分もやってみたいという共感で引き込まれる。
それだけなら、まあ楽しい映画でよかったのだが、若者グループ3人のうちの一人が、家庭環境に問題があって、屈折した自我の持ち主だったのが災いした。ある事故をきっかけに、力を邪悪な方向に使うようになり、最後は・・と、いささか残念な、定型的な終わり方。
超能力ものというだけなら、それでおしまい。けれどもこの作品では、カメラというものの現代的な意味付けについて、もうすこし空想の翼を広げてみてもいいかもしれない。
* * *
自分の目ではなく、電子デバイスを通してものごとを見る傾向が、現代では相当強まっている。何か事件があったり美しい景色に出会ったり有名人を見かけたりすると、肉眼でじっくり見るより前に、まずスマホを取り出すのが習慣化しているのではないか。それは、対象を客観視する傾向を強める点で良いとも悪いとも言えるのだが、この映画はそれをどう見ているだろうか。
カメラは、その持ち主である問題児を、まるで自画像を撮るかのような視点で映している。幸せなときは、幸せそうな自分を。仲間との得難い時間は、自分と仲間を入れたアングルで。そして、辛い時は・・。あるいは、取り返しのつかない過ちを犯したときは・・。カメラは客観的にそれらを見せる。冷静な視点ということもできるが、冷酷な視点でもある。通常、それは他者の視点だが、この映画では、能力を使って、自身の視点として見せているところが斬新だ。
我々自身は、その視点にいつまで耐えられるのだろうか。もう少しこの道具を、抑制的に使ってもいいのではないか。ちょうど、能力を使うルールを若者たちが取り決めたのと同じように。
この主人公が自滅の道を突き進んでしまったのは、自分の家庭と自分自身を客観的=冷酷な視点で見ることから逃れようとしたからではないか。恵まれない自分というものを、カメラの客観的で鮮明な映像で反芻することに耐えられず、自分の優越を補強する主義主張に傾いていったのではないか。
忘れるべきことをいつまでも鮮明な記録として残してしまうこの道具に、影響され過ぎたのではないか。
もちろん、映画はそんなことはおくびにも出さない。単に、カメラを、持ち主の意思のとおりに、しかし他者の視点から、操ることの面白さに着目しただけなのかもしれない。それはそれだけでも十分面白い。
でも私としては、もう少し別の何かを読み取ってもよさそうに感じている。
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