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2013.05.27

「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」

ライアン・ゴズリングを前面に出してアピールしているけれど、映画の筋が彼を中心にまわるのは前半まで。後半は全く違う展開になって、終章でやっと意味がわかる・・気がする。というややこしい作品。見続けるのに少し忍耐がいるかもしれません。以下ネタバレ。

統治というのは、たぶん、虚構の集積だ。人は自分で作った檻に自ら入るものなのだ。この作品は、その虚構を維持するために矛盾を抱えて苦悩する男と、虚構から自由になったがそれゆえに破滅する男を、同じ視点から描いている。長いタイムスパンの中で、最後には同じに見せるようにつくっている。

それでいて、エピローグの2つの異なる場面は、それぞれが全く違う世界に生きていることを暗示しているように見える。時が全てを癒していくかのようにも取れる。表面的には。

そんな風な作品。

監督はインタビューの中で、「これは血の因果を巡る物語なんだ。」ときっぱり言っている。お話の下敷きはそうに違いないけれど、そこに取り込んだ他のテーマの方が、より大きく映ったように思う。


原題は "The Place Beyond the Pines" だが、この"pines" の意味がわからない。聖書か何かの決まり文句なのだろうか。普通に訳せば「松林」だ。
なるほど確かに、二人目の主人公が悪徳警官に連れて行かれるのは、暗い森の奥だ。そこで彼は人生の岐路に立たされ、乗り越えて、次の人生に踏み出すことになる。まさに"beyond the pines"。

が、同時に、pine にはこういう意味もあるようだ。

((文))思いこがれること, 切望.
用例 He pined to see his wife and children. 彼は妻子に会いたいと切望した.

((文))(悲しみ・後悔・苦しみ・空腹・思い煩(わずら)いなどで)やつれる, やせ衰える(away).

【語源】
ラテン語「罰,苦しみ」の意

こちらの意味で取るならば、題名は「苦悩の果てに」くらいか。

おそらく、両方の意味に掛けているのだろう。

ちなみに、Wikipediaを見ると、お話の舞台となったスケネクタディという地名は実在のもので、アメリカ原住民モホーク族の言葉で「松林の向こう」の意味があるそうだ。もちろん、単純にそうとってもいいのだが、やはり含みを持ったタイトルだと思いたい。


そういう映画なので、「ライアン・ゴズリングかっけー!」、みたいなノリで見に行くと後悔します。

Pic03

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