雑記130506
一昨日の山登りのせいで筋肉痛。昨日より一層痛いのは納得いかん。
でも面白かったなあ(笑)。
▼機械との競争
「人材教育の高度化カギに 」
マサチューセッツ工科大学(MIT)など米国の有名校は、相次いで講義や教材をウェブ上に無償公開し、教育を受ける母集団の数を増やして世界中から高度人材を選ぼうとしている。それは、高度人材が確率的にしか発生せず、教育で陶冶するのが難しいことを暗に認めているともいえよう。そうだよねえ。
画一的との批判はあったが、20世紀までの学校教育が成功をおさめたのは、教育がプログラム化でき、多くの生徒が訓練さえすれば能力を身につけられたからである。そして、プログラム学習で身に着いた能力が労働市場で十分な付加価値をもったためである。教育はローリスク・ハイリターンな投資だった。だが、プログラム化可能な知識や技能は、機械にも学習しやすかったのである。「そこそこ」知的なコンピューターの出現は、近代教育の意義を根底から揺さぶっている。まったくそうだよねえ。もう少し先の話ではあるけれど。
▼人間に固有のリテラシー
「mediaリテラシー:藪の中」
同一の取材対象だと思われる記事について、二つの大手通信社が正反対のトーンの記事を配信し、それがそれぞれマスメディアに載っていくので、油断はできない。結局、こういうところに人間特有の能力を発揮していくということになるのだろうか。
▽
振り返ってみれば、自分の作ったちょっとしたアプリケーションソフトが、これまで何人もの人の仕事を消滅させてきた面は否めない。
人が、機械との競争に巻き込まれずに、新しい時代に適応していくことは、案外切実な問題。コミュニケーション力、ということが頻りに云われるのは、それと関連がありそう。メディアリテラシーも、コミュニケーション力のひとつの形ではある。
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