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2012.10.01

「ハンガー・ゲーム」

小説が売れているらしいのだが、本屋であまり見かけない。日本では受け容れられていないのだろうか。
最近ありがちな、格差社会批判の作品。格差の存在を匂わすとか、背景に置くとかではなく、最初から前面に出している。あまりの直球ぶりに安っぽさが目立つくらいだが、途中から手を加えて本物感を徐々に滲ませるなど、芸がある。以下ネタバレ。


参加者が命懸けで闘う様子を、安全な席から娯楽として見る。普通、映画にしろ小説にしろ、お話というものはそう作られている。物語の中に入りこむことで、現実の人生ではなかなか出会えない経験を擬似的に得るわけだ。

この映画を、普段通りに、そのように見ようとすると、観客は作品の中で、自分の醜いカリカチュアに出会うことになる。他人の苦闘を、メディアを通した娯楽として消費する自分の像に。

これは見ていて居心地が悪い。

このカリカチュアは、メディア、特にソーシャルネットワークに強く接続された我々の自画像にほかならない。常に他人の評判を気にしながら、その支持を、あわよくば具体的な支援を、受けようと駆り立てられている。あるいは当事者に手を貸すことで利益を得ようとしている。

はじめに、そうした居心地の悪さを見せつけた上で、作り手はカリカチュアに少しづつ現実感を持たせていく。それによって、格差社会の重層的な構造を露にしようとしているかのようだ。

1%の勝ち組と99%の負け組、といった表現は、勝ち負けの間に断絶があるように錯覚させるが、現実はそこまで極端ではない。この映画では、一応勝ち組側に身を置いていても、ゲーム参加者の人間性の発露に共感する者が少なからず居ることを匂わせている。その一方で、ゲームで死闘を繰り広げる側も、メディアの前では本心を隠して、受けを狙うキャラクタを演じ通している。勝ち組は人間性の回復を求めているし、負け組は虚像を操作することを学んでいる。程度の差はあれ、同種の人間かもしれないのだ。


その同種の人間に、過当競争を強いる社会、競争を煽って見世物にするメディア、それを娯楽として見る我々自身、それらへの強い批判を見ることができる。


この構造の外側に、作り手はもう一つ、1%の中核ともいうべき者を置いている。これがどうなっていくのかは、続編があるそうだから、そちらに期待したい。

続編のストーリーをいまから予想しておくと、これは三角関係の利用、ということになる。本作は、勝気のヒロインと控えめで一途な若者の命を掛けた恋物語、という設定に酔いしれる勝ち組、を見る映画だったわけだが、次は、ヒロインを挟んで争う二人の若者、という設定をグロテスクに楽しむ勝ち組、に起きる変化、を見る映画になるのではないか。たぶん。

どうにも複雑だし、座りが悪い。
でも次も見てしまいそう。

Pic02

公式サイトのキャスト紹介ページの縦スクロール機能がちょっと面白いです。

[追記]肝心な一文を書き落としていたので追加しました。

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