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2012.09.09

「夢売るふたり」

公式サイトに著名人コメントがあって、意見はまちまちだ。ホラーと感じる人がいる一方で、コメディだという感想もある。騙す側の夫婦を語る人が多い中で、騙される側に目を向ける人もいる。この作品にはいろいろな見方があり得る証左だが、ひとつだけ一致している点は、これがいい映画だということ。それは間違いなさそうだ。以下ネタバレ。


罪を犯すのは男。そそのかして手引きするのは女。アダムとイブの昔から変わらない。もののはずみで追い詰められ、道を踏み外していく夫婦だが、一体どこで間違えたのだろう。いやそもそも間違いなのかどうか。

金持ちの家に生まれてぬくぬくと生きている女など、騙して小金を巻き上げたところで、さして良心の痛みは感じない。理不尽な事故で苦しんでいる貧しい自分たちの方に、むしろ夢売りとしての理がある。はじめはそんな程度に考えていたかもしれない。

ターゲットを金持ちに絞っている間はまだよかった。夫の方はそれでも、これが異常な感覚だということには気付いていた。騙す相手と濃密に付き合っているのだから、痛みは感じて当然だったろう。妻はある日、その異常さを夫に指摘される。健気な妻の仮面が剥がれ、別の貌がゆっくりと立ちあがる。少しづつ、歯車が狂っていく。

そこで止めていれば、あるいは別の幸せな道に戻ることもできたかもしれない。しかし作り手はそんな半端を許さない。欲に憑かれた夫婦のターゲットは、必ずしも裕福とはいえない人々に広がっていく。自分たちの夢のためとはいえ、これが不正な手段だという意識は封印され、熟練度が上がった二人は半ば機械的に「仕事」をこなしていく。シングルマザーの案件の状況を乾いた声で淀みなくチェックする夫の様子は、自分の意志ではもう止められないところまで来てしまっていることを窺わせる。止まるとしたら、それは外部からの力によるしかない。そして、それはクラッシュ以外の形ではあり得ない。一瞬だが、夫婦は別々にその危機に気付く。止めようとして、しかし運命の綾は二人をすれ違わせ、あとは破局へ一本道。


結局、男は償いを背負い、女は逃げて、しかし報いは受けている。いつかまたこの二人が一緒になることがあるのだろうか。たぶん、そうなるだろう。男運の悪い風俗嬢とその紐男が離れられないように、この夫婦もまた、むしろ絆は強まったようにさえ見える。この「絆」は、震災以来語られる観念的なそれとは違う。もっと肉感的で血の匂いのするものだ。こういう繋がりを何と呼べばいいのだろう。

夢を売ったふたりの罪は、他人の幸せ願望を利用して自分たちの幸せを優先させたこと。しかし自分”達”の”達”も、元はといえば他人。自分、自分達、他人、それぞれの幸せが絡み合って複雑な相を見せるのが、この作品の味わいであり、他人には窺い知れない夫婦という繋がりを、そこに見ることができる。

阿部サダオは、あまり好きな俳優ではない。しかし彼の凶眼とでもいえそうな目の光は、この作品では存分に生かされている。そして、それを上回って怖いのが松たかこ。

いやほんといい映画だわ。

Pic3


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