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September 2012

2012.09.25

「黒部の太陽」

途中休憩10分を挟んで3時間15分。汗臭い土工達がひたすらトンネルを掘る。話にドラマがあり、映像に緊張感があり、飽きさせない。確かにこれは裕次郎の遺志のとおり、できれば映画館の大きなスクリーンで見たい。全国チャリティ上映会だそうだから機会はあるかもしれない。以下ネタバレ。

この45年前に公開された映画で一番驚かされたのは、2010年代に入って公開される映画と比べて、なんら遜色がないこと。いい映画、というものは、時代を超えて共通した要素があるのだろうか。もちろん、観ている私が古い人間だから共感しやすいということは、あるだろうけれども。


情報を操作することが金儲けの一番の近道であることが広く知れ渡って、それへの追従や反感が錯綜するこのご時世に、このような泥まみれの映画が再び世に出てくるのは、実にタイミングもよい。近代のいろいろな仕組みが出来上がる前の世界から、どのような先達の労苦を経て今があるかを、思い起こさせてくれる。

人の有限性と明日の不確実性を下敷きに、挑戦、犠牲、挫折、凱歌が、生々しく描かれている。地図に残るどころか、おそらく遺跡として残っていくだろうものが、か細い人の手によってどのように切り開かれていったかがわかる。

これが、東北の大震災を契機に、世に出てくるというには、それなりの思惑もあるだろう。しかし、裏にどういった事情があろうと、この映画の作品としてのパワーに何の曇りもない。

映画ってやっぱりすごいと思わせてくれる1本。

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2012.09.17

「鍵泥棒のメソッド」

基本はどたばた喜劇。思わずにんまりしたり、大笑いしたり、ふと考えさせられたりで、2時間たっぷり楽しめる。面白いというほかない良作。ぴあの出口調査につい勢いで90点と答えてしまいました。この役者を揃えてこのストーリーで、面白くないわけがない。少しデフォルメしたキャラクタたちがそもそも笑いの種。それを組み合わせたり配置したりするストーリーが笑いに油を注ぐ。以下ネタバレ。

売れない役者がやくざを騙すという笑いとスリルの構図は、佐藤浩市主演の「ザ・マジックアワー」と共通する黄金パターンだが、この「鍵泥棒のメソッド」の方がより現代的で、いまの気分にしっくりくる。前者が、真面目さが一本通った暑苦しいロマンティシズム(たぶん)であるのに対して、後者は一筋縄でいかないリアリズムを感じさせる。例えば、やくざへの対処において、騙しが効かないと見るや最後にあっさり方針変更し、警察というより強力な暴力組織をかちあわせて一目散に逃げるあたりのスピード感と現実感覚に、いま風の納得感が漂う。何かを絶対視しない変わり身の早さ、二重三重の幻惑とでもいうか。

この相対化の感覚は、他の点にも表れている。「ザ・マジック・・」が、役者人生そのものを副題にして、真っ直ぐに話を進めるのに対して、この「鍵泥棒・・」は恋愛をテーマにしつつも、恋愛についての様々な見方を提示して結論は出さずに放置する。最後のシーンで、相思相愛の二人がひしと抱き合うシーンがどう演出されているか。映画館で是非観て、にやりとしたいところ。たいへん・よく・できました。
ここはもちろん笑うところだが、もし多少の羨望を滲ませているように見えるとしたら、それは受け取る側の問題だろう。


正真正銘、不確実性の時代に深く入り込んだ今の気分を、なにかと反映して共感できる一本、というと大袈裟すぎるでしょうか。

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2012.09.09

「夢売るふたり」

公式サイトに著名人コメントがあって、意見はまちまちだ。ホラーと感じる人がいる一方で、コメディだという感想もある。騙す側の夫婦を語る人が多い中で、騙される側に目を向ける人もいる。この作品にはいろいろな見方があり得る証左だが、ひとつだけ一致している点は、これがいい映画だということ。それは間違いなさそうだ。以下ネタバレ。


罪を犯すのは男。そそのかして手引きするのは女。アダムとイブの昔から変わらない。もののはずみで追い詰められ、道を踏み外していく夫婦だが、一体どこで間違えたのだろう。いやそもそも間違いなのかどうか。

金持ちの家に生まれてぬくぬくと生きている女など、騙して小金を巻き上げたところで、さして良心の痛みは感じない。理不尽な事故で苦しんでいる貧しい自分たちの方に、むしろ夢売りとしての理がある。はじめはそんな程度に考えていたかもしれない。

ターゲットを金持ちに絞っている間はまだよかった。夫の方はそれでも、これが異常な感覚だということには気付いていた。騙す相手と濃密に付き合っているのだから、痛みは感じて当然だったろう。妻はある日、その異常さを夫に指摘される。健気な妻の仮面が剥がれ、別の貌がゆっくりと立ちあがる。少しづつ、歯車が狂っていく。

そこで止めていれば、あるいは別の幸せな道に戻ることもできたかもしれない。しかし作り手はそんな半端を許さない。欲に憑かれた夫婦のターゲットは、必ずしも裕福とはいえない人々に広がっていく。自分たちの夢のためとはいえ、これが不正な手段だという意識は封印され、熟練度が上がった二人は半ば機械的に「仕事」をこなしていく。シングルマザーの案件の状況を乾いた声で淀みなくチェックする夫の様子は、自分の意志ではもう止められないところまで来てしまっていることを窺わせる。止まるとしたら、それは外部からの力によるしかない。そして、それはクラッシュ以外の形ではあり得ない。一瞬だが、夫婦は別々にその危機に気付く。止めようとして、しかし運命の綾は二人をすれ違わせ、あとは破局へ一本道。


結局、男は償いを背負い、女は逃げて、しかし報いは受けている。いつかまたこの二人が一緒になることがあるのだろうか。たぶん、そうなるだろう。男運の悪い風俗嬢とその紐男が離れられないように、この夫婦もまた、むしろ絆は強まったようにさえ見える。この「絆」は、震災以来語られる観念的なそれとは違う。もっと肉感的で血の匂いのするものだ。こういう繋がりを何と呼べばいいのだろう。

夢を売ったふたりの罪は、他人の幸せ願望を利用して自分たちの幸せを優先させたこと。しかし自分”達”の”達”も、元はといえば他人。自分、自分達、他人、それぞれの幸せが絡み合って複雑な相を見せるのが、この作品の味わいであり、他人には窺い知れない夫婦という繋がりを、そこに見ることができる。

阿部サダオは、あまり好きな俳優ではない。しかし彼の凶眼とでもいえそうな目の光は、この作品では存分に生かされている。そして、それを上回って怖いのが松たかこ。

いやほんといい映画だわ。

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2012.09.02

「ファウスト」

あいにくの無教養で原作は読んだことがない。あまりにも有名なので、話の筋はどこかで聞いたような気がする。いまはネットのおかげで、Wikipediaでも見れば粗筋はわかる。この映画では、王様の右腕として働く部分は小うるさい雑音のように小さく描かれていて、むしろカオスの方が強調されているようだ。

つまるところ、男は結構自分勝手に生きて、神も悪魔も蹴散らしながら突き進むところがある。ときどき神様や世話になった女のことを思い出したりして反省もするが、やっぱりすぐに忘れる。殺した相手に、苦しみに満ちた生から解放してくれたことを感謝されたりして、ますます自信のようなものを深めてしまう。そのようにものが見えていないから、知らないところで、実は自分が踏みつけにしてきた誰かの祈りで救われていることにさえ気付かない。

という辺りを、映像にしてみましたというものらしい。映像には確かに、ところどころ、見どころはある気がする。暇なら見てみてもよいかもしれない。

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