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2012.07.28

「ダークナイト・ライジング」

私はクリストファー・ノーランとクリスチャン・ベールのバットマンが結構好きだ。だからこの終わり方はとてもよかったと思う。まさに、感動とともに終わらせるための映画。以下ネタバレはもちろん観る前に読んではいけません。


前作の悪役ジョーカーは、狂人であり犯罪者だった。しかし本作の敵役ベインは、それとは次元が違う。もはや法治国家内部における犯罪者という括りから大きくはみ出しており、正直、バットマンの手には負えない相手だ。これに拮抗するのは、政府と軍隊だろう。

バットマンの大きな物語は、前作の後半、フェリーに乗せられたゴッサムシティの住人と犯罪者たちとが、それぞれ、他者のあからさまな犠牲の上に生きながらえることを恥とする決意を示したことで、事実上終わっている。ジョーカーという強烈な存在は、そこから急速に輝きを失い半ば自滅した。それと歩調を合わせるように、バットマンは不要の存在となり、トゥーフェイスという狂言回しによって不名誉な罪を背負わされゴッサムから姿を消した。前作はいわば、バットマンと世界の関わりの物語だったと言えるかもしれない。

それから8年後を描いた本作は、バットマン=ブルース・ウェインの内面に重点を移している。そして、それと同じくらい、周囲の人々に焦点を当てている。悪役ベインと同じくらいの重みで、執事のアルフレッド、ゴードン市警本部長、女盗賊セリーナ・カイル、警官ジョン・ブレイクといった人々が、ブルース・ウェインの周囲に集う様子が描かれ、彼を取り巻く絵柄の欠かせないパーツとしてぴったりとはまっていく。クライマックスからエピローグにかけての、ジグゾーパズルの最後のパーツが次々に正しい位置に納まっていくような感覚に、鳥肌が立つような感動を覚える。見事なバランス感覚とよく練られた台詞まわし、展開の積み重ねの結果だろうか。

この映画の、他の様々な要素、例えば、"Occupy Wall Street"的側面や、"テロリストにも三分の理"のような設定に目を向けると、いささか陳腐に思えるかもしれない。けれどもそうした要素は、この作品の背景に過ぎない。目を向けるべきは、ブルース・ウェインを取り巻く群像劇だろう。だれもがウェインのことを案じ、あるいは理想を投影し、はたまた密かに敵視し、そうしてもつれた糸をさらに絡ませていく。それが、最後にかけてすっきりと納まっていく。この見事な納まり感こそが、「終わらせるための映画」と感じる所以だ。それを感じられれば、この映画は十分満足できる一本と言えるだろう。

ネット上の資料の充実ぶりから、作り手側の熱意も感じられて、嬉しいことこの上ない一本。
The Dark Knight Rises Extensive Behind the Scenes Featurette (2012)
プロダクション・ノート


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