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2012.05.11

「ヴァルハラ・ライジング」

1か月ほど前に見て、書くことができずにしばらく寝かせておいた。これをスタイリッシュな暴力とする評価があるらしい。確かに手加減のない暴力シーンや、象徴性の強い映像が埋め込まれてはいる。しかし、この映画は精神性の要素がより大きい。最小限に削られた台詞と、見る者を掴んで離さない力ある映像とともに、込められたメッセージが見逃せない。おそらく、観る人に応じて異なる見方があるだろう。以下ネタバレは読まずに観るのが吉。


古武士の趣を持った主人公の一生を、暴力と憎悪に始まって、宗教と関わり、狂気を経て自由へ、そして最後に生の意味を見出すまで、順を追って描く。ただそれだけなのだが、男の一生というものは概ねこんなものではないかと思える。

だいたいが、男の子の人生は、最初は親の束縛を受けながら、他人と競争することから始まる。現代ではそれはソフィスティケートされているが、それでも他人に勝つことで生き残る練習という側面は否めない。同時に、自分にそうした生き方を強いる世界に対する憎悪を生む。

長じれば、彼は一応の自由を手に入れるだろう。闘いの中で身につけた業が自由の支えだ。そしてどこかで彼は、宗教に出会うだろう。身に付けた業はそのままに、宗教というものに何らか救いを期待するのだろうか、行動を共にする。

しかし、宗教も一皮むけば、世俗の権威と何ら変わらない。そのことは、騎士団との最初の出会いのときに、裸で鎖に繋がれた奴隷たちの絵ではっきり示されていた。袋小路の狂気の中で、救いはないことを悟った後、離脱によって自由を取り戻すが、宗教が振りまいた敵意が、ヒトの形をとって彼を取り囲み逃がさない。

もし、彼が初めの頃のように、憎悪によって駆動されていれば、再び一人で切り抜けたかもしれないが、彼の内面は変化しており、憎悪ではなく別の真理に従って、あるべき結末を迎える。


ひとの一生は、つまるところ順送りであることを、寡黙な映像で、最後の瞬間までそれと悟らせないように、巧みに描いたといえる。

ちりぢりになった宗教騎士団の生き残りもわずかとなって、それぞれの人間性が露わになるシーンが印象的だ。統率者の無二の友であった僧侶は、息子たちを死なせてしまったことを悔い、彼らを旅にいざなったことを悔いて、死に方が問題なのだとつぶやく。

死に方の問題。それを、まさに主人公が最後に示すことで、この映画は観る者に強い印象を残す。思わず襟を正させるような、見事な終わり方の一本。

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