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March 2012

2012.03.25

「トロール・ハンター」

「クローバーフィールド」のような手法を使いながら、対象をトロールとすることで、何とも言えない可笑し味を滲ませた映画。トロールの造形や生態を楽しむのがよい。以下ネタバレ。

見続けるのにけっこう努力がいる。このバカバカしさを許せる忍耐力がないと、最後まで見るのは辛いかもしれない。実際、少ない観客の中でも、最初の30分くらいで席を立ってしまう人もいた。

出だしのまだるっこしさを乗りきれば、あとは「トロール大全」とかの名称で出ていそうな本でも読むような楽しさがある。キリスト教徒であることを隠しているカメラマンが喰われてしまうお約束とか、イスラム教徒ならたぶん大丈夫なんじゃないかといういい加減さとか、紫外線を浴びたトロールが硬化したり爆発したりする理由のこじつけ方とか、不思議な自然現象や事故に隠されたトロールの痕跡とか、思わず失笑苦笑してしまう。

そういうところを楽しむのが味わいの映画。手ぶれ映像酔いも、かろうじて我慢できる範囲で収まっているので、なんとかなる。

エンドロールの最期の一文が、バカバカしさの仕上げで笑える。
暇つぶしにまあまあの一本。

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「第9軍団のワシ」

原作は、ローマン・ブリテン三部作として知られる、ローズマリ・サトクリフ(アーサー王と円卓の騎士!)の作品の第1部。といわれても知らなくて、アマゾンで注文した。映画を見て小説も読んでみたくなる、そういう作品。

映画の方の筋書きは、ローマの元百人隊長とブリトン人の奴隷という二人の若者が、蛮族の地深く旅して、名誉と自由を取り戻すというもの。同時に、ローマ化・文明化とは何であり、古代ローマの版図拡大にいかなる正当性を見出せるかをも読みとることができる。こんな正統的なお話を、ローマ式の軍装に身を固めた男たちの肉弾戦を交えながら見ることができるなんて、胸熱だ。以下ネタバレ。

胸熱とは言ったものの、肉弾戦はこの映画の華であって本領ではない。むしろ、それ以外の部分に大切な含意がある。

お話の前半で、ブリトン人族長の息子だった同行者エスカが、鷲の旗印はただの金属の塊ではないかと主人公マーカスに問う場面がある。ローマ人は、そうではない、お前にはわからない、と応える。実はこの時、見ているこちらもよくわからない。というか迷う。主人公が果たして何にこだわりをもっているのか、不明だからだ。

物語の進行とともに、蛮族の風習とローマ的なものの考え方の違いが要所で描かれていくことで、ローマ人のマーカス、そして蛮族出身のエスカの中にも、ローマ化・文明化の意義に対する自覚が生まれるのを、観客は見ることができる。

最初の兆しは、エスカが母の最期を語る場面。母が死ぬことになった経緯は、若者たちの心に、ローマ的・文明的な考え方を広めることの意義について考えさせるに十分だ。この経緯と同じ背景を持つ悲劇が、物語終盤のクライマックス直前で、今度は蛮族の父子の間で繰り返される。マーカスとエスカ、そして第9軍団の生き残り達の心に、このときはっきりと、自分たちが武器を取って闘う理由が自覚される。鷲の旗印はその象徴だ。

面白いのは、ローマ人の中でも、こうした自覚は薄いらしいということ。それは、マーカスがエスカの命を救った闘技場でのローマ一般市民の態度や、マーカスとローマの政治家との間の齟齬などに表れている。

地中海世界の広範囲にわたって文明化を成し遂げた当のローマの内部でさえ、その精神の真髄は忘れられがちなのだ。

獰猛な蛮族として描かれたスコットランドの土着の部族は、デフォルメしすぎな感じはあるけれど、太平洋戦争末期の日本人の異常心理を思い起こさせるところもあって、笑えない。

マーカスを演じたチャニング・テイタムと、エスカを演じたジェイミー・ベル、それぞれの風貌のあかげで、結構真に迫るところがあった。現代の覇権国と同盟国に引き写すのは、無粋なのでやめておく。上映館が少ないのが少々残念だが、胸熱な物語が好きな向きには、間違いなくお薦めの一本。

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2012.03.21

「メランコリア」

東京での上映は当初数館あったようなのだけど、あっという間に新宿武蔵野館1館だけになってしまった。それも今週でおわり。やっぱり人気なかったのかと思いきや、武蔵野館の100席ほどのスクリーンは超満員で立ち見もでた。私の隣の席の男性は風邪の熱をおして見に来ていたようで終始荒い息。迷惑だぞ(笑)。カルト受けするのだろうかこの映画は。以下ネタバレ。

世界が終わる、などと宣伝では煽っているが、それを見せるのがこの映画の意図ではなさそう。終末は背景に過ぎない。

コペルニクス的転回というか、ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学への遷移というか、背景が変われば、普通が異常に、異常が普通に見えるということを表した、と見ることもできる。冒頭、結構長いシュールなスローモーション映像が続くのだが、その異常な映像の意味は終盤でわかる。転換点は、ある数字の奇跡。というか予言の証明。そういう些細だが決定的なことで、人は天地の逆転を納得したりする。当初、救い難い異常者に見えた女が、最後はまともに見えてくるように、仕組まれている。正常に見えた人々のあっけない脆さも表されている。

見ていて愉快な映画とは言えないので、お薦めはできない。何か日常の事件にかこつけて、正常と異常の入れ替わりを表現するという普通の方法をとらずに、動かし難い破滅そのものを終局に置くことで、テーマをより純粋に作品にしたといえるだろうか。

キルスティン・ダンストを、ゴージャスとか美人と呼ぶのには、私は少し抵抗があるのだけど、ファンならば、いいものが見れます、とだけは言っておきたい。(笑)

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2012.03.18

「ヒューゴの不思議な発明」

冒頭の、直線を突き進むシーンの技法がちょっと驚き。どうやって撮ったのだろう。2Dで見たのだが、これは3Dで見るのがよかったかもしれない。お話の意外な展開も、実はそれと少し関連がある。以下ネタバレ。

終盤に近くなるまで、これが一体どういうお話になるのか全く見当がつかない。そこを、機械人形の謎、第一次大戦後のパリの風物、曰くありげなおもちゃ屋の親父と、その可愛らしい娘などで引っ張る。見る方はあまり深く考えずに、引っ張られるままについていくと、作り手が言いたかったことににたどり着く。こういう展開は我慢が求められるけれど、クロエ・グレース・モリッツの表情の豊かさに免じて許します。

映画興行のような夢売り商売は、確かに悲惨な現実の前では影が薄くなりがちだ。特に大戦や大恐慌のような未曾有の「現実」を経た後では、人は心を固くして生きる。戦争で負傷し、歩くのも不自由な駅の公安官が、その象徴だ。公安官に追われる浮浪者の主人公の少年も、父を亡くすという不幸な現実にやはり打ちひしがれながら、しかし、父が残した機械人形を修理することで、希望を見出そうとしている。公安官が自らの不幸を再生産するような生き方をしているのと違って、少年は、不幸を「修理」して何かを生み出そうとしている。

その少年の行動が、少しづつ周囲を動かし、やがてある人物の意外な過去が明らかになる。それは長く忘れられていた夢の復活であり、現実の苦しみを乗り越え未来に目を向けさせる力となる。この映画は、現実の悲惨さを生活の前面に出して毎日刺々しながら泣き暮らすのがいいか。それとも、夢を持ち知恵を働かせながらヴィヴィッドに生きるのがいいかを、観る側に問うている。

アカデミー賞やゴールデングローブ賞という賞の性格はよく知らないのだが、小難しく考えればそんなところがきっと選ばれた理由なのだろう。初期の映画のフィルムを作中の取り入れている点なども、評価されたのかもしれない。
私の正直な感想としては、テーマは良いが、果たしてそこまでの作品かどうかは、やや疑問が残った。

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2012.03.17

「ヤング≒アダルト」

感想を書きづらくて、ひと月ほど置いてしまった。シャーリーズ・セロン演じる主人公の荒んだ女王様っぷりを楽しむ映画。誤解のないように付け加えると、女王様を蔑んだり取り巻いて冷笑するのではなく、むしろその暴虐からの凹みぶりと回復力(笑)を味わうという趣の映画。以下ネタバレ。

女王様といっても、本物のビッグなそれではなく、案外小物。活動拠点が”リトル”アップルであったり、仕事は"Auther"ではなく"writer"であったりという点にそれが表れている。

対して、田舎に住み着いておそらく一生を終える人々の彼女を見る目は、嫉妬、羨望、嫌悪、憐憫といったところ。

努力と才能で田舎を脱出し、都会でなんとか生計を立てている自分は、田舎者どもに比べて一段上の人間だと思っている女王様が、彼らの嫉妬を一蹴しつつも、嫌悪に少し傷つき、憐れみの眼で見られてさえいることを知って逆上、破滅的な結果を迎えるものの、一部の田舎者からの、変わらぬ羨望を感じ取って、たちまち回復し、自分の住処へ還っていくまでを描く。

この作品のいいところは、そんな女王様を決して否定的に見ず、むしろ彼女を見る眼差しに暖かいものを感じさせるところ。世の中の進歩は、多少性格に問題はあっても、前へ前へと否応なく進む気質の人間によってもたらされ、その他大勢の凡庸な幸せに安住する多数派に、まわり回って大いなる恩恵をもたらしている。そういう感覚が、作品の行間からなんとなく感じられる。だから、女王様を見る目も暖かい。

十分凹んだ後の、女王様にだって生きる権利はあるわよっ! およ?あたしってまだまだいけそうじゃん? さあ今日もいくわよっ!という感じの後味がいい。それをきちんと表現するシャーリーズ・セロンの豊かな表現力も見どころ。よい役者を得て、結構いい出来になった一本。

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「鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言」

ビデオを元に編集された劇場版らしい。建築関係者だけでなく、一般にも名が知られた宮大工西岡常一さんの記録映像。法隆寺の宮大工の家に生まれて、祖父の教えを受け継ぎながら、薬師寺の大工に転じ、金堂、西塔を一から建てた人。数年前に亡くなられたが、ツイッターに「西岡棟梁の言葉BOT」がある。https://twitter.com/#!/kinimanabebot

白鳳建築である薬師寺の伽藍は、凍れる音楽とまで言われる東塔を残しているだけだったが、当時の管長や西岡棟梁の力などで、金堂、西塔などが再建された。

鉄やコンクリートの使用を巡って様々な対立の当事者となったが、コンクリートはせいぜい百年、木は千年保つという意見を曲げなかった。法輪時三重塔では、鉄のブレースを入れることになったが、実はこっそり抜いていたことを、この映画のもとになったビデオ制作の取材で笑いながら明かすなど、肝が太く茶目っけもある。
古代の建築の実直さを現代に蘇らせた稀代の棟梁。

このところ、木造の復権が少しづつ芽を出し始めているが、木を神とまで言う宮大工の精神の一端が垣間見れる一本。

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2012.03.13

「シャーロックホームズ シャドウゲーム」

シリーズ第一作は見なかった。ロバート・ダウニーJr.とジュード・ロウの取り合わせは面白いだろうなとは思いつつ、なんだかシャーロックホームズのイメージが壊れそうで。二作目でやや抵抗も薄れたので見てみると、やっぱりイメージは壊れた。それなりに面白くはあったけど。以下ネタバレ。

原作はもうほとんど覚えていない。だから、原作との違い云々で特に違和感はない。お話にはかなり引き回される感じ。作り手側のご都合でどんどん進む。ミステリ仕立ての現代の小説は、登場人物の心の襞を描くことで、物語としての奥行きをつくっていると思うのだが、この映画にはそういう奥行きはない。「探偵小説」という懐かしいカテゴリそのままだ。

その代わり、アクションは派手。シャーロック・ホームズというより、インディージョーンズと言ってもいいくらい。違いといえば、美女の危機を主人公が救うみたいなお約束がないこと。ホームズのストイックなイメージが生かされている数少ない点だろうか。

結局、モリアーティ教授がなぜジプシーの女を狙ったのかは、曖昧なままで終わる。暗殺者となった彼女の兄にお話を引っ張っていくための糸口だというのはわかるのだが、教授のような慎重な人間が、無意味に手掛かりを増やすとは思えないので、違和感が最後まで残る。それが、物語の中で引きずり回されたと感じる理由。

ホームズ流の推理というものが、それだけでは現代のエンタテイメントにはやや力不足だという感覚は正しいだろうから、いろいろ味付けは必要なのだろうけれど、次も見に行くかどうかは微妙というところ。

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2012.03.07

「アンダーワールド 覚醒」

シリーズ4作目。3作目を見たとき予想したとおり、今度はセリーンが母親になって子どもを守るお話。なんという読み通りの展開。前3作に比べて、お話はのっぺりしているので、セリーンのアクション以外にあまり期待しない方がよい。私はただひたすら、ケイト・ベッキンセールがストイックなラバーコスチュームに身を包んで忍者のごとくコロしまくるのを見るだけですから、十分満足ですとも。ええ。これはどうみても銃夢のガリィ。以下ネタばれ。

それにしても、ケイト・ベッキンセールだいぶ歳をとった感じになった。母親役だから当然そういう風にメイクしているのだろうけれど、年齢的にも30代も終りの方のはず。自然に10代の子の母親役がやれる歳だ。美人なのは相変わらず。演技はさほどうまいとは思わないが、この人の雰囲気が割と好き。ベッカムの奥さんと仲良しというWikipediaの記述を見て、さもありなんという感じ。

このシリーズも、どうもTVドラマ風のクオリティでだらだら続いていきそうな雰囲気だが、いつまでもこの雰囲気でいってほしい。その意味で、ミラ様のバイオハザードと双璧になってしまうかも。

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「キツツキと雨」

ひと月ほど前に見ていたのだが、引越しで忙しくて書けなかった。最初ははずれかと思ったが、お話が進むにつれて良くなっていく感じ。以下、思い出せる点だけ。

才能はあるが、予算その他の現実の制約の前に、一歩も進めずスランプに陥っていた若い映画監督が、田舎のごく普通の人たちとのコラボレーションを通じて、自己をきちんと主張することを覚えていくお話。だったと思う。

正しい自己主張の対極として、ジンクスを頑なに守ろうとする姿勢を、間違った自己主張として描いていたのがちょっと面白い。自己満足を捨てて、目の前の事実やつながりを大切にというメッセージだろうか。

そういうメッセージは、ありがちだから置いておくとして、この作品の本当のよさは、映画づくりの楽しさをとてもよく滲ませていた点だ。

エキストラに駆り出された田舎のおばちゃんたちが、映画という都会の文化に触れて、無邪気にはしゃいでいる様子が微笑ましい。ゾンビと戦う未亡人軍団になって気勢を上げているシーンなど、真剣だけれど屈託がない。その様子に感化されて、半ば不貞腐れていた映画づくりのスタッフたちが俄然やる気を出して、自らいろいろ提案し始めるところなどが少し感動的。文化の力って、そういう風にキャッチボールしながら伝染していくものなんだ。

気弱な映画監督を演じた小栗旬の、壊れっぷりの表現がわりと良かった。役所広司は、武骨な樵のはずが、映画撮影を手伝ううちに、そちらの空気に馴染み過ぎてしまったのがちょっと残念。本来は、最後までもう少し異色な存在であるべきなような気がした。ここは配役に少々無理があったのかもしれない。

とはいえ、大筋で悪くない一本でした。

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おら 東京さいぐだ!

23区内へ引っ越した。
といっても、多摩川を渡って少し北へ行っただけだから、さほど大袈裟なことでもないのだが、一応顛末を簡単に記録しておこうと思う。ちなみに、年が明けてから映画の感想文をほとんど書いていないのは、物件探しと引越しで週末忙しかったから、なのです。以下だらだら長文。

* * *

昨年大晦日までは、引越しなど露ほども思っていなかった。元旦に金時山に登って富士山を見たのが、何か影響しているのかどうか。三が日にふとしたことでリクルートがやっているスーモとかいうサイトを見たのがきっかけだ。

中古マンションて結構安いのもあるのね、というのが実感だった。特段の荷物も趣味も持たず、夜寝に帰ってくるだけの一人暮らしには必要十分な広さのものが、最も安いもので500万円くらいである。場所も悪くない。もちろん、そういうものは半端なく古いとか、何らか曰くがある物件ではあるのだが。

そうした曰く因縁をあまり気にしないので、これは暇つぶしにちと探してみようかということで、三が日は蜜柑と白ワインで過ごしながらネットと睨めっこしていた。

概ね1000万円前後で、そこそこの物件は手に入るようだ。今住んでいる木賃アパートの家賃のほぼ15年分にあたる。と思うと、やっぱり割高な気もしてくる。新聞などで見かける京都あたりの投資用ワンルームなどは、同様のスペックでこの6割くらい。東京はやっぱり住むための費用が割高だ。

だいたい、私は日当たりのよい木賃アパート押入れ一間畳敷きというものが好きで、コンクリート壁の住まいは一度懲りたことがあるのだ。断熱工事をしていない薄いコンクリート壁だけで、外はリシン吹き付け内はクロス直貼りなどという空間は、正直辛い。外も内も打ち放しなどがデザイナー系には受けがいいようだが、実際に住んでみれば、冷輻射やら結露やらいろいろ障りがあるのがすぐにわかる。その前に住んでいた吉祥寺の四畳半木賃アパートが、また素晴らしく良い環境だったので、余計にあの石の底冷え感は堪えた。桜新町は町としてはとてもいいところだったので、もう少し良い物件を探せばよかったのだが。

さて、にも関わらず、そこで物件探しを止めなかったのには、それなりに理由もある。第一には、今の環境に馴れ過ぎたと感じるようになったこと。川崎という町は、ラゾーナが出来てからは特に、普段着の住みやすさという点で著しく良くなった。週末に買い物に出れば、少子高齢化などどこの話かと思うくらいに、赤ちゃん連れの家族で溢れている。羽田にも近く、いずれアジアの台頭する若い力が流れ込んできて、さらに発展を遂げるかもしれない。品川とは別の切り口で、日本の玄関口になる可能性もある。そういう「暮らしやすい」点に、しかし私は少しすれ違いを覚えるようになったのだ。へそ曲がりだから仕方がない。(笑)

第二には、賃貸は若者のもの、という意識がある。だんだん歳を取っていくに従って、貸してくれるところも減ってくる現実がある。手数料商売の不動産屋にしてみれば、回転が速い若い借り手の方がいいのだ。大家の意向は別だとしても。そうした環境下で、いつまでも賃貸に居続けるのは、少々リスクがある気がする。

第三は、これは素人の思い過ごしに近いのだが、世の中のデフレの潮目が変わりそうなのではないか、という気がしたからだ。まあ、たとえ一時の気の迷いだとしても、そう損をするわけでもない。

そんなこんなで思い込んだらもう止まらない(笑)。資料請求に厚かましく内覧希望のチェックを付けて正月3日の夜に十数件一気に送信。翌日から、携帯にひっきりなしの着信が。次々に内覧予定を決めて、週末がどんどん埋まっていく。行ったことのない町へ行く予定を入れるのは、映画のチケットを買うのと同じくらいわくわくすることだ。

* * *

高校まで横浜で過ごした私には、東京の南半分は比較的親近感がある。学生の頃は自転車でかなりあちこち走り回ったので、土地勘もある。というわけで、その辺りを中心に回ってみる。私鉄沿線は、仕事場との時間距離や乗り換えの不便を考えてパス。勢い、山手線の駅かその内側の地下鉄駅近辺ということになる。

不動産屋からの反応では、田町周辺の物件が多いようだ。品川と田町の間のJR新駅の計画も発表されたし、今ホットなのだろうか。旧財閥系M社の若い担当者が結構親身になってくれて、世間話などしながらあれこれ物色。彼は企画部署出身とかで、町の不動産屋とは話のレベルがちょっと違っていて面白かった。

東京湾岸の物件は、昨年の大地震でいっとき価格が下がったらしい。目端の効く資産家はすかさず買いをいれていて、一年後の今はかなり値を戻しているとか。6千万で買ったものが1年で8千万くらいになっているそうな。英語圏から来た借り手もこの辺りは多いようで、そういう人達と不動産契約取引をするときは、帰国子女の通訳付きでも結構たいへんだとか。外国人はおろか、同じ国内の関西人にさえ通じない”礼金”なんて、どう説明しているのだか(笑)。かと思うと、売り手買い手双方とも士業で、時間調整がおそろしくたいへんという話もあった。しかもそれぞれ仕事では先生と呼ばれるくらいでプライドは高いわ我儘だわで、間に立つのはたいへんだ。まあ、それが仲介業というものだから仕方がないw。

東京には、地下鉄網の隙間にちょっとした陸の孤島的な空間が稀にあって、そういうところは比較的安い。大規模ビルにもなっていないので、隣の小公園にブルーシートの人たちが住みついていたりする。メディアによく載るようなビジネスビル街やお洒落な界隈、あるいは野卑なパワー溢れる繁華街などとは全く異なる貌も、随所にあるのが東京の面白いところ。

あれこれ見て結局、芝浦の古びたマンションにほぼ決めた。向かいに超大型の超高層マンションができたばかりで、その庭が丁度借景になっていい塩梅だったのだ。平面が三角形のその超高層は、中が上から下まで吹き抜けで、新宿住友ビルのようになっているらしい。住友ビルの方は、吹き抜けを囲む廊下は羽目殺しのガラスだったと思うが、目の前のマンションは、なんと、手すりのみだとか。高所恐怖症の人はちょっと怖いかもしれない。一度中に入って見てみたいものだ。ていうか、パラグライダー背負ってダイブできるんじゃないか。
さて。あとはバイク置き場の目途を付ければ契約、ということで、管理組合との交渉を不動産屋に任せて、ついでに少し地域を広げて見て廻ってみる。

* * *

品川区は特に港南を中心に発展しつつあるところ。新築はいくつもありそうだが、中古が案外見つからない。大崎に手頃そうな物件があったのだが、裏手に回ると大規模な擁壁があり湿気がすごそう。なにしろ擁壁と建物がSRC梁で一体化されていて、間の空間を駐輪場にしているという、あまり見かけない凄まじさ。騒音もないのに二重窓になっていて、理由が解らなかったのだが、たぶん結露がすごいのだろう。

文京区は落ち着いた住宅街の印象がある。目白台の物件は閑静でよい環境だが、今回の引越しの方向性と少し違うのでパス。椿山荘近くのプランが優れている物件は、寺町の中にあり、向かいが小さな墓だ。墓にそれほど抵抗はないのだが、バイク置き場がないのと、なぜか底冷えがするのでパス。

新宿区は喧騒の繁華街の印象。新宿御苑に程近い物件は、入居者が物騒。なにしろ不動産屋自身が、「自分で可能な限り見て廻ったが○暴の人などの入居者は居ないようです」などと、「聞かれもしないのに」開口一番言うようなところだ。それって確実に居るだろう(笑)。電気温水器が故障中で交換費用が追加で必要ということだが、それでも安くて広い。つまり、これも曰くありということだ。

同じ新宿区でも、曙橋近辺は割と住みやすそうなのがあったのだが、これもバイク置き場なし。東京ではバイクは迫害されているのかな。車に比べたら全然場所もとらないし環境に優しい燃費なのに。市谷のお堀沿いの物件は眺めも良くてたいへん気に入ったのだが断念。まだバイクは手放せないということを、このとき初めて自覚。

目を転じて茅場町あたりも、以前の仕事場があったので馴染みがある。のだが、住むとなるとやや建物が稠密で単調過ぎる感じはある。向かいのビルとの距離が近い。大通り沿いでよさそうなのがあったと思うと、売りに出ているものは反対側の狭い通りに面していたり。なかなか条件に合うものは見つからない。中古探しだから仕方がないのだが。

この頃になると、GoogleStreetViewであらかじめビルや周辺の様子を確認して、大凡の見当がつくようになってくる。不動産屋のフライヤーで平面図を見ると二面開口で明るい物件に見えても、StreetViewで見ると一面は隣のビルの壁で塞がれているようなのとか、行くまでもなくわかったり。やっぱり便利だなStreetView。

月島も豊洲と東京に挟まれて最近発展しているようで、捨てがたいところがあったのだが、山手線から離れ過ぎているのが難。有楽町線一本依存なのがつらい。同じ有楽町線でも新富町辺りまで来ると、銀座や日本橋は徒歩圏内で悪くない。正面に聖路加タワーが見える物件があって、これは最後まで候補に残った。

* * *

そうこうしているうちに、田町の物件の連絡がきた。バイク置き場はNGとのこと。なんでも耐震改修の計画があって二輪置き場は縮小の方向だとか。残念。
なんとなく諦めが付かず、もう少し北へ移動したところにある、別の物件に目移り。当初は対象外だったのだが、物件を多数あたるうちに、自分がどいうものが欲しいのか掴めてきて、視界に入ってきた。

海に近い環境で育ったので、やはり内陸よりこういうところが好きなのだろうか。最終的にここにするのだが、まだ紆余曲折がある。

最初はある中堅不動産屋の紹介で、6階を内覧。帰りがけに管理人にいろいろ話を聞くと、ほかにも空いている住戸があるという。それを扱っている別の不動産屋G社に電話して2階内覧のセッティング。こちらは端部住戸なので少し広め。悪くないのだが、管理人に聞いた空き住戸は8階か9階のはずだが、G社の扱い物件の中にはないという。その日はそれで別れたが、数日経って、どう手を回したのか、8階の話を持ってきた。

どうやら、不動産物件というものは、ネットなどには流れないものも多いらしい。ネット物件は餌であって、かかった客を見定めて、手持ちの非公開物件を提示するようだ。そういえば、過去の引越し先探しではいつも、はじめから地元不動産屋廻りばかりしていたので、そういう二重構造に気がつかなかった。
この物件は気に入ったので条件を詰めて、不動産屋の事務所で契約書に印鑑を押す約束までいく。

契約当日、重要事項説明を受けて、またまた不動産仲介業界の奥行きを知ることになる。登記簿謄本を見ると、売主と所有者が違っている。よく聞くと、売主は所有者から登記をする権利だけ買って転売をするらしい。売主が自身で登記をしない理由は節税だ。登録税を節約しているのだとか。だから、この状態でもし買主である私が所有者に働きかけて直接売買契約を行い、そのまま登記してしまえば、売主は対抗できない。そういうリスクを負いながらの鞘抜き商売であるようだ。おそらく業界の慣行として、買主はそういうことはしないのだろうし、所有者と売主との間でも話はついているのだろう。鞘を抜かれているのは癪だが、黙って通すことにする。

この鞘抜きの売主は、不動産仲介業者ではない。おそらく資格も持っていないのだろう。しかし、物件の情報は握っている。不動産の仲介手数料は法律で上限が決められているから、不動産流通で手数料以上に儲けようと思ったら、いろいろ抜け道を工夫しなければならない。これもそのひとつなのだろう。

こうした業者の存在で、不動産価格は不当に押し上げられている、と言うこともできるが、逆に、相場が維持されていると言うこともできるのかもしれない。オフィスや商業施設と違って住宅は、収益還元法だけで一概に価格が決まるものでもないだろうから、ここは難しいところだ。自分が手放すときに、それまで受益した効用や払った経費を購入価格から加減した金額以上で売れればいい、というだけのことかもしれない。

これで購入は終了。水回りを改装すれば、さらに広く使えるようにもできるのだが、費用もかかる。今はこのままで住みこなすことにする。

* * *

引越しはこの2週間後。移転につきものの慌ただしさの中で週末を過ごす。赤帽で荷物を運んで、次の週に戻ってきて掃除。オフィスなら原状回復は業者任せだが、自分の住まいとなるときちんとしなければ。細かいところまでそれなりに綺麗になった。8年間世話になったね。ありがとう。

不動産屋に鍵を返して、これで本当にお別れ。
新居の登記もこの頃完了。

* * *

んで、住み始めて最初の感想は、意外に暖かい。と、買い物不便。
暖かいのは内覧時やその後の雪の日などに確認していたが、思った以上に快適。端部で外に面した壁の断熱工事がしっかりしているのだろう。上下横の部屋が埋まっているのも効いている。
買い物不便は、最初から覚悟の上だ。そもそも便利すぎる環境がよろしくないと思ったから引っ越したわけだから。マルエツ・プチという食品スーパーがこの辺りでは主流のようだが、以前の大消費地の巨大スーパーとは比べるべくもない。価格も3~5割程度高い。落ち着いたらバイクで行ける買い出し先を探さなければ。

映画館だが・・有楽町とお台場ということになるか。渋谷まで出掛ければ無問題だが。。これも追々しっくりくるフォーメーションを考えなければ。

高速道路が近いので窓は二重になっているのだが、これは案外効果がある。ひっきりなしの交通量だが、ちょうど外房の海沿いでキャンプしているような、波の砕ける音にそっくりの低音がずっと続く。かえって快適というか、早くも慣れて気にならなくなった。


総じて、いまのところは満足至極。繁華街の喧騒とは離れて、かといって閑静な住宅地のような他人の眼もなく、海沿いのやや寂れた感じがよい。当分は居着きそう。


そうそう、地震が少々気になるところだが、自分の生死についていえば、どこに居ても似たようなものだろうと思う。そういうことは天に任せておけばよい。海外に拠点を移すような芸当ができるわけでもない。

生き延びてしまったときには、確かに賃貸の方が失うものは少ないだろう。だからこれはリスクを取るということでもある。それに見合うものを今はなんとなく感じている。十年もすれば、またここを売ってどこかへ移ろうと思うかもしれないが、それはまだ先のお話。

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