Blogは終わってなかった
Google+やfacebookといった、いわゆるSNS(第一世代?)と、Blogとの違いは、タイトルの有無だ、と思うようになった。
Google+は実に機能的にできていて、その人のプロフィールを見ることで、一見、Blog的に使うことも可能に見える。しかし、そのストリームの各断片には、タイトルがない。
これの意味するところは、概念のBlackBox化ができない、ということだ。
ヒトは、事象や概念を理解・体得した後は、それを短い言葉に置き換えることによって、さらに複雑な概念を総体として把握できるようになる。圧縮された概念が、この小さな脳の中で互いに位置づけられ、そのグループにもまた言葉が割りつけられて、どんどん複雑で深い概念の森を形成していくのだ。
それを行うためには、概念を表象する短い言葉、タイトルが要る。
ストリームというものには、その重要な、タイトルという要素が無い。
これで、BlogとSNSの使い分けの方向性が、やっと見えてきた。
で、この文のタイトルだが、上記のようにしてみました。
これは、この前の記事のタイトルのエコーを、多少受けている。タイトルは、それ単独で孤立しているわけではなく、コンテクストをも多少反映しているのだ。
おもしろいね。
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