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2011.08.15

「ツリー・オブ・ライフ」

うーむ。
という書き出しで映画の感想文を書くのは初めてだけど。(笑)

教会で、牧師さんの説教の代わりに上映するのがしっくりくるような、一風変わった映画。成功した建築家が、子供時代や父母、若くして亡くなった弟を思い出して、主なる神を想う筋書き、という理解でいいのかどうか。ここで、亡くなった弟を、近年の戦争で命を落とした同国人に重ね合わせる米国人が、居ても不思議はない。我々には縁遠い話だが。

中間層が薄くなって貧富の差がますます拡大した米国社会にとって、金融産業に代表される強欲と支配欲の蔓延を今後どう扱うのか、悩ましい時代に差し掛かっているところだとは思う。確かにそれは成長のひとつのエンジンとして選択されたものではあったのだから。そうした状況の中で、この映画のような自省的な作品にも一定の価値はあるのだろう。

日本人の観客である私の感想としては、来し方を振り返ってみるのはいいが、それを主なる神に結びつけるのは、少々抵抗があるというところか。彼らが内省的になるには、たぶんそれしか手段がないのだろうけれど。


"nature"と"grace"を対立させているところは、鰯の頭まで信仰の対象にしてしまう私としては、少し違う気がするところ。作中で、NASA提供風の宇宙の画像などが、graceを表現するために使われているけれど、日本人にとっては自然現象そのもの。神様というものはもっと身近なところにおわします。

”世俗”の概念に"nature"の言葉をあてて、それに対置する形で、”神の恩寵”概念を"grace"で表している。natureという言葉は、英語圏の人にはそういう風に感じられているのだ。日本人のエコロ感覚で言うところの”自然”とはかなり違う。”野蛮”とか”粗野”に近い、”荒ぶる自然”という感じ。
里山のような人の手が入った自然と、本来の自生的な自然を、我々日本人は区別できなくなっているかもしれない。という反省は必要かも。


それで、だからなんだといわれても困るのだが。

2時間弱にわたって子供時代を少しづつ思い出して、罪深い自分というものに改めて気付かされつつも、それを覚めた目で眺めながら、階梯を一歩登ってみる。見方によってはラジカルな一本。

「あなたを、人を漁る者にしよう。」
そう言われて、はいそうですかと家族や友人や仕事や収入を、その場で捨てられるか。

いや、”捨てる”と考えるのが間違いで、ただ、”授かったものをお返しする”のだろう。
もともと、自分のものではないのだから。


うーむ。


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