東北海側行記110501
5時半出発。夜寝るのが早いので、朝も早い。朝方の冷え込みはだいぶ緩んできている。このあたりは少し内陸側で、建物の被害も見たところ無く、のどかな様子。

ボランティアの小基地になっているようだ。大勢がこの連休でやってくるそうだから、宿泊施設も足りないのかもしれない。医療系のボランティアだという人に話を聞いてみると、この先すぐの海岸付近は、例によって別世界だそうだ。海沿いの道は、橋が落ちて最近まで行き来ができず、仮設の橋がかかったと思ったら余震でまた使えなくなり、数日前にやっと復旧、という状態とのこと。
ところで、彼はこの場所に野営している他のボランティアのことは知らないそうだ。いろいろな団体が思い思いに動いているのだろう。当面、それもやむなしか。
45号を海に向かって走る。美しい夜明け。ところが、ものの10分ほど走ると、夜明けの光の中に、違うものが現れてくる。
中央は仮設橋。橋桁はかかったが斜路ができるまでは通行はできないようだ。左はその前に開通した仮の通り道。そして右が、もとあった橋の名残。

マスメディアに流れる地名は、ある程度大きな町、宮古、釜石、南三陸、大船渡、陸前高田、気仙沼、などだ。それらをここで再録してもあまり意味はないので、メディアに出てこない小さな町の様子を、ここから北上して気仙沼まで辿ろうと思う。どこも同じ様子なので、時系列は追わずに、同種の写真を一括りにして並べてみる。
●当局の素早い需要喚起の件。
早くも津波警戒区域の真新しい標識が沿道のあちこちに立っている。もちろん他のより重要な復旧工事を休んでいるわけではない。まずは仕事をというのは、困窮する地元にとって案外重要。

●頑張っているのが目に見え始めている件。
道路の次は電気。ということで、新しい電柱が並んでいる。戦後復興の写真とよく似ている。





●ええ?こんなところまで? な件(奥行き方向)
直接海が見えないので、津波が来るとは想像しにくいようなところでも、来るものは来る。
志津川のセメント工場のさらに上。道路はかなりの勾配で上ってきているのだが、撮影地点の横を見ると、被害にあっている。

どこから水が来たのかわかりにくいが右奥から。中央の丘を回りこむようにして来た。

●頼もしい仮設の件
街中の工事でよく見かけるものと同時に、自衛隊仕様と思しきものが目新しい。機能本位・可搬性など。

●無慈悲な被害境界線の件
家屋の外見は無被害に見えても、実際は被害を受けていることもあるから、ここの例はあくまでも通りすがりの印象であることをお断りしておく。
また、津波はその地区の生活圏そのものを破壊したので、仮に家屋が無被害であったとしても、そこに住んで生活を営むことが極めて困難になったケースも多いはずだ。低地の商店街が全滅したのに、買い物はどうするのか。学校も破壊されtのに、子供はどこへ通わせればいいのか。職場が崩壊したのに、ここに留まってどう生計を立てればよいのか。そもそも不動産価値はどう変化したのか。その困難が傍目にはわかりにくいであろうことは、心に留めておかねばならない。
その上で、被害の境界線が地域コミュニティに様々な問題を引き起こす可能性を考えなければならない。
難しすぎて、これからどういう進み方があり得るのか、正直、よくわからない。わかるという人たちが、素案を作っているだろうと期待したい。阪神の経験は参考になるのだろうか。
この後は、気仙沼、陸前高田まで。
●地区の中での被害の割合の件
上のケースでは、集落のコミュニティは維持される可能性が高いのではないか。全滅に近いところとは異なる対応がありそうだ。これよりもさらに、被害割合が小さそうな集落もある。平地が少ない小さな入り江は、必然的にそうなっている。
●食品加工工場の場合
カモメが群れているのでよく見ると、何々フーズという工場だったようだ。なるほど異臭がする。

その奥の方で、今日は瓦礫の撤去作業が行われている。ご苦労様です。

低地が壊滅して、高台にあったお社や墓地だけが凛とした形で残っている。折からの満開の桜が美しすぎて言葉にならない。祀り手が居なくなった後も、祀られる神様は残るのだろうか。
少なくとも、桜が毎年咲くであろうことは疑いない。
●おしまい
いやほんと、この先どうすべえ。
一応、ここまでで津波被害の見聞はおしまい。このあとは、普通のツーリング記になる。


































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