雑記110424
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「It's a beautiful day and ..」
センスいい。
情緒で迫るなら、こんな風にやりたい。
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情緒でなく、理詰めでいくならこんな感じ。
この数値が「間違っている」という人(政府、安全委員会、文科省、専門家、パフォーマンスをする人など)は、何らかの理由で「ウソ」を言う必要がある人です.ちと追記するざます。この数値については、法律で決まっているぐらいですから、当然ながら十分な根拠があり、このブログでも示してきました。
そして、「福島原発事故が起こったから、日本人が急に放射線に強くなった」ということはありません。
上のブログ主に対してはいろいろ批判があるようだけど、少なくとも、事故が起きたあと泥縄式に基準を変えるようなことを言い出す当局の姿勢を見て、それはインチキ臭いと思うのは自然だろう。この学者さんも、プロフィールを見ると当局の人らしいのは、とりあえず置く。
「原発 緊急情報(48) なぜ、1ミリシーベルトが妥当か?」
あくまでも学問は「現在までの知識」に基づいているのであり、「将来獲得するであろう知識」は全く入っていないのです。将来、獲得するであろう知識というのは予想ですから、もしそれを使えば厳密な論理は展開できません。従って学問はその性質上、現在までの知識しか使えないのです。科学が示す結論はその時点までのまだ打ち破られていない仮説に過ぎない、というこの主張は、全くもって正しい。自然科学系の学者さんにとっては常識。
これがチェルノブイリの時の IAEA の間違いの元になりました。つまり、それまでの知識によると、チェルノブイリ原発の事故によって、小さい子供が甲状腺ガンになり、将来の妊婦に異常が起こるということはわからなかったのです。細胞の自己治癒能力とかアポトーシスとか、生命の意外な強さが、放射線を過度に恐れる必要はないという文脈で使われることもありそうだが、人間の健康は、放射線を浴びた細胞の挙動という切り口だけで単純に捉えることはできない。分子生物学などの成果だけをもって、今回の原発事故の人体への影響全体を判断することは難しい。
外部からの放射線による被爆と、体内に取り込んだ放射性物質の問題で切り分けは必要なのだけど、その情報がどうも見当たらない。風向きによって放射線量が変わるような話は、どうみても放射性物質の移動の問題を言っているはずだが、同心円でしか放射線の影響範囲を示さない政府のやり方は、放射性物質の拡散移動を無視しているとも思える。故意かどうかは知らない。
へむへむ。
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