雑記110410
昨日、退魔師の映画を見て思ったのだけど、わしらの無神論的心情というのは、不可抗力の巨大災害と同居しているという、世界でも特異な環境が影響しているのではないかと思ってみたり。平和ボケとか自虐的に言うけれど、世界の中で、死に支度が一番できているのは、実はわしらかもしれない。
神とか悪魔とか人格者とかは、その心情の前では、いかにも人工的で役立たずに見える。平時の飾りというか。
自慢じゃないが、地面ががたがた揺れて割れるなんてことが毎年普通にあるのだ。聖書の中でそんなことが起きるのは、イエス様が十字架の上で息絶えたときくらいしかない。海の水が遠くまで引いた後、巨大な壁になって押し寄せるのなんて、旧約の中で1回あっただけだし。
それに比べたら、わしらの置かれている環境は、毎年イエス様がどこかで昇天して、3世代に1回くらい民族大脱出をやっているくらいのすさまじさなのだ。
わしらのふてぶてしさを、改めて見直してしまうよ(笑)。
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根岸の森林公園へ花見に。といってもそぞろ歩くだけなんだけど。
全山桜一色というのもいいけど、枝ぶりのよい勢いのある一株を見ればそれで満足。
三鷹台に住んでいた時の、井の頭線沿いの小路にあったあの巨樹は見事だったけど、相変わらずだろうか。
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こちらのWALLから。
太陽光のエネルギーは1キロワット/平方メートルなので、3キロメートル四方の太陽電池があれば、効率10%として原発一機分くらいの発電量になります。もちろん、雨の日や夜はどうすると言われるでしょうが、それくらいの面積は熱帯の砂漠でなくても取れそうな気がしてきます。今回問題が深刻化し、最大50キロメートル四方は住めなくなるなどと言われるようになると、その面積全部を使って太陽光発電をしたら全国の電力を賄えるレベルになるとか、比較をしてみたくなります。
似たような話をあちこちで聞く。真剣に検討してみてもいいのかも。
それを都市の屋根でやればいい、という方向になるのか。
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