なるほど確かにソーシャルゲームには害がある。
「ソーシャルゲームは”有害”で人々を”物”として扱う、BraidのクリエーターJonathan Blow氏が語る」
CityVilleでは、公共施設をつくるとスタッフが必要になるのだが、友達に呼びかけてCityVilleに参加させて、自分の町の施設のスタッフになってもらうか、さもなければ、リアルマネーで買うゲーム内Cashでバーチャルなキャラクタを雇うかの選択を迫られる。
友達を金で代替できる、と露骨に示しているわけだ。
もちろん、友達を財布とみなすような感覚は、必ずしもソーシャルゲームの時代に限ったことではなく、例えばいにしえのバブルの時代にもあった。”あっしー”とか”めっしー”とかいう言葉(歳がばれるけど)には、そういう臭いが感じられた。
けれども、そこには一方で、もしかしたらこの女といい関係になれるかもという男どもの切ない希望と、もしかしたらこの男と運命のいたずらを体験できるかもという女どものささやかなファンタジーが、身体性を伴って淡く混ざってもいた。
それを思うと、確かに、ソーシャルゲームの、あまりにも割り切った友達と金との完全兌換性の前では、想像力といったものが働く余地がない。人を人たらしめている根源である想像力というものを締め出しているという点で、なるほどソーシャルゲームには害がある。
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