自律と監視は補完の関係
日経の駅買いをやめたのは、WiFi+スマフォで結構な量のニュースを毎朝見られるようになったからだけど、それでも週末は紙を買って読んでいたりする。それで、今日の社説と中外時評は微妙に共鳴して面白かったので、ひとこと記録しておきたい。
社説の方は検察の話題。その役割の性質上、検察には外部からの圧力に左右されない自律性が必要だが、自律に任された適正な取調べができなかった以上は、監視システムとしての取調べ全面可視化を拒むことはできない、という意見。
一方、中外時評の方は情報の報道ルールについて。腐敗と隠蔽は避けられないのが権力の常であり、隠された情報を取材し報道するジャーナリズムの役割の重要性を再確認したうえで、取材と報道は長い時間をかけてルール化されてきたものであり、一種の文法に従っていること、インターネット経由の暴露情報には、その文法がないので危うさが感じられる、との意見。
この二つを並列に並べてみると、こんな風にもいえる。”取材と報道には外部からの圧力に左右されない自律性が必要だが、自律に任された適正な取材と報道ができないとわかった場合には、(以下ご自由に)”
ここで思い出されるのは、例の記者クラブというものの存在だ。あれは、適正な取材と報道を阻害していないのかどうか。もし阻害しているとすれば、”監視システムとしての可視化を拒むことはできない”となるはずだが。
中外時評の記事は、”(暴露)事件の背景には、既存メディアが求められている役割を十分に果たしていないという不信がある、との指摘”についても触れているから、執筆者は十分承知していると思われるが、一部の良心的な存在をもって、全体の劣化を弁護することは難しいことも事実だろう。
”自浄”とは言うは易いの類。
参考(より適切なものに差し替え)
「元検察官、三井環さんが語る「リーク」の実態」
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