雑記101203
Wikileaksの件は、インターネット上の情報をどう扱うかという、これまでも繰り返されてきた問題と、まったく同じ。
情報を発信する側の問題ではなく、それを読み取る側の問題だ。
「暴くべきは」
そのとおりだと思う。裏を返せば、暴くべきものを暴くことはよろしい。とも読める。
「ウィキリークスが暴露した中国の真実」
こういうものを読めることの価値を認めたい。
黙ってスルーしておくものと、よく聴いて自分の肥やしにするものとを選り分けるのは、聴いている自分自身。
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ところで、Wikipediaの記事には、
Wikileaksは、「我々の主目的は、アジア、旧ソビエト連邦、アフリカのサハラ砂漠以南、そして、中東の圧制を強いている政権を白日のもとに晒すことであり、また、世界の全ての地域で、政府や企業によって行われている非倫理的な行為を暴露したいと考えている人たちを支援していきたい」と主張しているとある。(原文はWikileaksのサイトにあるが、いつ消されるかわからない)
情報を小出しにしている現状は、世論の動向を考えつつ取っている戦略的な行動かもしれない。既存メディアと事前にやりとりしているらしいことは、その表れだろうか。
多少ゴシップめいたものも見せて、世間の耳目を集めておくことで圧力をかわす、という手はありそう。
ところで、従来型の知識人さんには、この種の暴露は面白くないだろうなとは思う。寡占に近かった変な情報が公開されてしまっては、情報源とのつながりも含めた知識人の存在価値が減る。だから、そういった向きが今回のリークにいい顔をしないのは、自然なことかもしれない。
でも、読解して意味を見出すだけでもたいしたものだと、そんな時間も能力もないおいらは思うけど。
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