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2010.11.14

「リトル・ランボーズ」

子供たちが主役の映画というと、観る側も最初から先入観があって、作り手側との間で、その先入観の周辺を行き来するような暗黙の了解がありがちだ。この作品は、一見そのようにみせておいて、実は本格的な作品。主人公を青年に置き換えても成立するし、内容は大人の鑑賞に十分堪える。それでいて、最後はこどもらしい純真な感覚を混ぜ込んでほろりとさせる。3Dにやや振り回されて物語としては低調なものが多い印象だった今年だが、クリスマスソングが聞こえる頃になって、これぞ映画というものをきちんと見せてもらった。以下ネタバレ。

なんといっても、映画というものを、自由な表現の大切な手段として扱って、こども(に限らない)想像力の発露を称揚しているところがいい。対置されるのは、閉鎖的な宗教団体の大人たち。親切そうに振舞っていても、その権威主義体質が徐々に露になる。その圧力を、最後には母親と家族の力を得て跳ね除けるのが、物語の外郭。

その内側では、子供だけの映画作りが展開し、叩き上げでやり手のプロデューサ、繊細で想像力豊かな脚本家、ナルシストの人気俳優など、個性豊かでこども離れした子供達が登場する。いっぱしの映画人を気取っているが、そこは子供ゆえ、世間との関わりにおいては大人からの制約が多い。それがこどもたちのストーリーに複雑な影を落とす。その影は大人の観客が観るべきところになる。

こどもたちどうしの関係においても、大人顔負けの複雑な政治が展開する。映画作りを通して、こどもたちは人と人との関係の取りかたを体得していくのだが、彼らが制作している映画のストーリーのパターンより、制作過程で展開する人間関係の方がずっと滋味豊かだということに、当のこども自身は気づいているかどうか。


日本人の観客にとても不思議にうつるのは、主人公の少年が、学校の授業でテレビの資料映像を使うところで、教室の外へ出されるシーン。あれはおそらく、娯楽を頑なに否定する宗派に属する少年の家で、テレビを見ることを禁ずる教義か何かがあるのだろう。それを何気なく受け入れている英国の学校の懐の深さも不思議だが、交換留学で来る一団が、公共の場での宗教的なもの一切を強く禁じているフランスのこどもたちだというあたり、これは皮肉だろうか。
カソリックの権力から逃れるために、英国国教会というものまででっち上げて澄ました顔をしている英国人からすれば、法律で宗教的なものを禁止するフランスのやりかたよりも、自分達の方がずっと賢いと言いたげだ。

こどもたちのあどけなさや、作っている映画の中身の単純さが、この作品自体の奥深さを引き立てているとさえ思える、なかなかの出来の一本でした。

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