北信行100503
もう少し日程に余裕があれば、東へ出るための標高の低いルートを探すのだが、どの道も怪しそうに見えて、気持ちが萎える。ひょろひょろと北国街道を長野付近まで戻ってみると、松代というところが真田氏の城下町だったとか。で見に行く。
これが案外面白くて、一日使う。国の重文が街中に点在している感じ。まず博物館で真田氏と松代の歴史を勉強のあと、真田邸へ。こちらは工事中で中は見られない。続いてお隣の文武館。
文武館は、複数の日本家屋がほどよく配置されて、建物と建物の間がうまくできている。建物には、座学を学ぶための、天井が低く落ち着いた内部空間をもつものと、武道のための、天井が高い館の2種類ある。
左は座学用の建物のひとつ”東序”。右は武道実技のための建物。

一番大きな建物は、役所と学校を同じ建物のそれぞれ両翼に収めたものだが、中を歩いていると、昔の日本家屋の良さを思い出す。団地で育った世代には、この感触はなかなか伝わらないかもしれない。それは自分の古さでもある。
文武館の次は、重文の横田家住宅。松代藩の中級武士のいわば公邸だという。

北入り玄関で、南面に庭と菜園が続く、この時期の典型的な武家の住まいの配置だという。2階の付き方が面白いが、これは典型とは言い難いような気もする。
あとは、おやきを食ったりおばちゃんと話たりで過ごす。松代城は、むしろ川中島合戦の武田方海津城といった方が知られているだろうか。この辺りの土産物屋は、信玄と謙信のいずれかを贔屓にしているようなところがある。そういえば、博物館の説明員さんや、古戦場跡のガイドさんなども、それぞれ微妙に贔屓がありそうに聞こえた。みなさん、前職は教員などで、定年退職後の仕事でやっているそうだ。
ほかに、佐久間象山の記念館などまわる。旧帝国軍が天皇を移すことを考えたという地下の穴ぐらは見なかった。
北信濃には、文人知識人の交流の輪があったらしいことが、今回あちこちの博物館など見てわかった。昔から長野県は教育熱心な土地柄だと聞いていたけれど、その気風には長い歴史がありそうだ。
時計も3時を回って、ゆるゆると帰途に付く。渋滞にあわないよう、早めに。
と思ったが甘かった。藤岡Jct付近からは断続的な渋滞。バイクにはバイク乗りにしか見えないバイクレーンというものがあるので、特に困らないが、車の人はつくづくたいへんだと思う。
東京に着いてみると、案外涼しい風。信州の今日の昼より、むしろ気温は低い。
5月は標高によっては雪が残っているが、北信をまた訪れるにはよい季節かもしれない。

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