耳順は人生仕舞いに近づいてから
「大人への道」
この稿はたいへん奥深そうで難しい。うかつに脊髄反射すると、トラップが待っているような気がする。アップされた日に読んではいたけど、ちょうど仕事がいきなり忙しくなったこともあって、しばらく横目で眺めていた。
無い知恵を絞ってあれこれ自問した挙句に、ひとつだけ残った問いがある。共生と強制はどう違うか、ということだ。自分で進んで世のため人のため会社の利益のため(笑)に何かしようと思うことと、同じことをするに、人に強制されて釈然としないままするのと、の間の違い。
孔先生は、”耳順ふ”と言われたそうだけど、それのことだろうか。”天命を知る”の後に置いてあるところが、結構難しい。天命を知るような人間が、どれくらいの比率でこの世に居るのか、知らない。
いまどきのわかいものを組織人に仕立てると言っている側は、天命を知って耳順ふに至った人達なのか。それとも、よく似た別のものに流れ着いたなれの果てなのか、その辺りがよくわからない。
いまはこれだけで、しばらくまた薄目で眺めてみる。
* * *
そもそも、8割方は利益追求を目的とする企業というものに関する話の中で、個人は自己利益を共生のために喜んで差し出せ、とする考え自体が、何か自己矛盾しているような。残り2割のムラ意識がそうさせるのか。
割合は逆じゃね?の突っ込みは置いときます(笑)。
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