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2010.04.26

「月に囚われた男」

今年観た中で、いまのところ最高と言ってよい作品。もっと多くの人に観てほしい映画。以下ネタバレは読まずにまず映画館へ。


予告編を見て、そのデザインから「2001年宇宙の旅」を思い出すかもしれない。監督のダンカン・ジョーンズ自身が言うとおり、それへのオマージュではある。観る側は、たった三人の出演者のうちの一人であるコンピュータとの間のトラブルを想像して、ほどよい緊張感を得る。しかし、もちろん”2001年”とこの作品とは違う。

テーマはより現代的だ。クローン技術はここでは驚異の新技術というほどではなく、むしろ普通に扱われている。覚醒時に記憶を埋め込まれ、それを補強する身の回りの写真や記念品なども普通に用意されている。この技術についての認識はすでに観る側も持っていることが諒解されている。倫理に抵触することは当然の前提だが、あっさり処理して、より主要なテーマに目を向けさせる。

この映画のSFとしての価値は、後半の山場で、数え切れないくらいの数のそれを、安置された扉の列で簡潔に視覚化し、それを通して、永劫の時間と業の深さを感じさせるところにある。みごとに成功している。まさにセンス・オブ・ワンダー。

この映画のもうひとつの、より大きな価値は、人が存在する意味が、そのオリジナリティにではなく、それが過ごした時間にあることを、じっくりと進む展開の中で示唆している点にある。露骨な台詞に乗せて語るような安っぽいことはしない。

二人のサム。一人はこの基地で孤独な三年間を過ごし、耐用年数の限界を迎えて、急速に命が尽きようとしているサム。もう一人は、目覚めたばかりで健康だが、やや神経質で几帳面なくせに不器用なサム。新しいサムは自分の三年後の姿と会話しながら、徐々に彼の存在を認めていく。本当にちょっとした日常的なやりとりを通して、旧サムが自分のコピーでないことを、また、自分も彼のコピーではないことを、感じ取っていく。旧サムが生きた三年間は旧サムのものであって、他の誰のものでもないのだ。

それが、二人のサムのやりとりの変化の中で、巧みに示されていく。この難しい一人二役を、サム・ロックウェルが淡々と演じている。少しくたびれて崩れた感じの旧サムと、目覚めたてほやほやの規格品風の新サムとを、信じられない精度で表現している。二人のクローンが出会う初めのあたりの互いの距離感、徐々に理解が進み距離が近づいていく様子、これを一人の俳優が完璧に演じ分けているのだ。このすばらしい技のお陰で、終わりの間際に旧サムが不器用な新サムに彫刻刀の使い方を教える何気ない場面が、ことのほか引き立ってくる。旧サムは新サムに自分の生きた時間と記憶を託すことにしたのだ。演技、脚本とも、完璧といってよい。監督は、サム・ロックウェルのためにこの脚本を書いたと言っているが、納得の仕上がりになった。

エピローグ的に少しだけ付加されるわずか2行ほどの展開はやや散文的で、この点ではカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」が優っている。しかし、映画としてはこの方がいいのだろう。欧米諸国が移民をある意味で使い捨てにしていることへの批判が込められているのか。


”類い稀”という言葉がぴったりあてはまる、凄い作品。
私にしては珍しいのだが、もう一度観たくなった。

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